「Visit Japan Year 2010」冬キャンペーン

2009年 : 国内, , 未分類, 美瑛町 No Comments »


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Visit Japan:観光立国の実現に向けて[観光庁]

25日環境庁のサイトにて、年明け1月からスタートするVisit Japan Year 2010」冬キャンペーンの内容が発表されています。

そしてその冬キャンペーン期間中の重点地域として北海道では札幌、富良野、そして地元美瑛町が選ばれています。


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Visit Japan Year 2010」冬キャンペーン

ビジット・ジャパン・キャンペーン」(VJC)の目標年である2010年を「Visit Japan Year」(VJY)と位置づけ、VJYの目玉の1つである冬キャンペーンを2010年1月~3月にかけ実施します。

  観光庁では、2010年に訪日外国人旅行者数を1,000万人とすることを目標に、官民一体となって日本の観光魅力の海外発信や魅力的な訪日旅行商品の造成等を行うVJCの取組みを推進しております。

また、中・長期的な目標として2016年に2,000万人、2019年には2,500万人を目指すこととしており、VJCの節目の年である2010年に確実に1,000万人を達成するため、来年をVJYと位置づけ日本全国で外国人旅行者をお迎えする機運を高める取組みを進めてまいります。

  今回実施する冬キャンペーンは、民間企業や自治体等の方々の協力を得て行うVJYの目玉キャンペーンの1つです。
1月~3月の期間に日本を訪れる外国人旅行者の方々に、協賛いただく宿泊施設や観光施設、商業施設など全国1,000以上の施設で割引やプレゼントなど各種特典を提供するほか、歓迎イベント等の開催を展開していきます。

  また、あわせて期間中は国民の外国人旅行者受入れ意識の向上を図るため、協賛施設等を中心に冬キャンペーンのポスターを掲出するなど、民間企業や団体等とタイアップして、様々な事業・告知を展開していきます。
  なお、2010年9月~11月の期間にも秋キャンペーンを実施する予定です。
観光庁


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Visit Japan Year 2010」ポスター

小泉元総理大臣の主導のもと、来年『2010年までに日本に来る外国人観光客を倍増させよう』という計画が立案。そして「観光立国」宣言のもと、「ビジット・ジャパン・キャンペーン実施本部」が2003年4月1日に発足。
そして「ようこそ!ジャパン・キャンペーン」がスタートしました。

ところがこの間、どれだけの観光に関わる方々がこの取り組みを十分に理解していたでしょうか?今回の「Visit Japan Year 2010」冬キャンペーン で美瑛町が取り上げられていることなど、サイトを見るまでは知りませんでした。

キャンペーンスタート以来、あまりにも偏りすぎているとも取れる取り組みがフラフラと歩き始めたが、いつの間にか目標とする2010年がやって来た。

中途半端で、アピール度・インパクトも少なく、国の施策にしてはお粗末な内容と言わざるを得ません。今後どのようなアクションをとって行くのか甚だ疑問ではありますが、観光に関わる者として今後の充実を期待します。

それはともかくとして、青と白の美しい冬の美瑛町はやはりひと味違います。
観光庁のサイトをご覧になられた皆様も、ぜに厳冬期の美瑛町にお越し下さい!

旭山動物園

2009年 : , 日常の様子, 旭川市 No Comments »

はるばる北陸からやって来た家族が旭山動物園へ出かけました。


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間もなく開園!

いつもより並ぶ列が短いと思っていたら、開園間近になると来るわ来るわ!どんどん大型バスが到着してきました。


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ナイスショット

やはり目玉はキングペンギンの散歩。
数年前のペンギン散歩が始まった頃と比べると取り囲む入園者の数の多いこと。
どの顔からも笑顔がこぼれ落ちています。


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キングペンギンの散歩

 旭山動物園(2006年12月)

こちらは1997年7月に完成した「さる山」。


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仲睦まじく

今では人気施設はじっくりと見ることもがきません。
痛し痒しの超人気動物園です。
晴れ時々曇り10:30 気温/-3℃ (.all images:biei.info)

2008日韓観光交流年 [Visit Japan]

2008年 : 国内, , 日常の様子 1 Comment »

久しぶりに故郷へ戻ると人の多さにびっくり。

ふと、リュ・シウォンさんと木村佳乃さんの写った「2008日韓観光交流年」ポスターが目に留まりました。近づいてみると、Visit Japan キャンペーンのポスターでした。

Visit Japan キャンペーンとは?
あまり意識されない方のほうが多いのではないでしょうか。

そもそもは小泉元総理大臣の主導のもと、来年『2010年までに日本に来る外国人観光客を倍増させよう』という計画が立案されスタートしたもの。

京都のような大都市に来るとあちこちで目にするポスターも、北海道、ましてや美瑛ではポスターどころがキャンペーンの話しすらでません。
観光庁も日本の魅力をアピールするため、まずは国内有力の観光都市に力が入るのは仕方がないとしても、隠れた魅力の宝庫でもある地方都市まで国内隅々にネットを張り、総合的な活力を取り戻すため平行して力を入れないことには、あまりにも偏りすぎた施策と言わざるを得ません。

海外からの観光客を増やすには)
生まれ故郷:京都を例にとると、
世界の観光都市となった京都は確かに海外のお客様にとっては魅力ある都市に違いありません。

ただ日本は物価が高い。
その上、京都などはお寺に入るたびに高い拝観料を払わされ日本人でもうんざり、宿泊先といえばリーズナブルに泊まれる宿が少ない。
外国人向けの格安料金や・割引システムづくりは早急に必要でしょう。

そして日本全体に言えることは、
観光ルート・スポットはきれいに手入れ・保存されていても、周りの環境にあまりにも配慮がなさすぎる点。これは京都など大都市より、地方の都市や地元美瑛町などでは更に配慮が欠け、ひどい状態になっています。

京都は京都タワー建設時にも物議を醸しながら、結局はその後も市内に高いビルやマンションがどんどん建って、景観を損ない続けています。
もちろん経済発展は大切なことですが、都市整備と両立して初めて、海外からのお客様のおもてなしができる国:日本を声高にアピールできる。

その他、言葉の問題や、日本人相手のような分刻みのバスツアーなどでは海外からのお客様はゆっくりと楽しんでいただけない。

問題山積のなか、地方の小都市まで観光庁の仕事ぶりが伝わるようにして欲しいものです。 期待を込めて!

横綱の里 [福島町]

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, , 福島町 No Comments »

静かなお盆を迎えています。

今日は午後から久しぶりの雨。
昼間の空き時間に先月末からできなかった「横綱千代の山・千代の富士記念館」(松前郡福島町)のQTVR映像を作成。訪れた当日(2008-07-29)の様子をご紹介します。


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横綱千代の山・千代の富士記念館

函館から国道228号を走り、道の駅「横綱の里ふくしま」の隣に記念館はあり、朝から降り続いた雨も福島町に着いた頃には上がり始めました。

→ 横綱千代の山・千代の富士記念館 QTVRパノラマ映像


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九重部屋と同じ状態で再現された稽古土俵

北海道横綱の里として知られる福島町に、平成9年4月:道産子初の第41代横綱千代の山、そして相撲界初の国民栄誉賞に輝く第58代横綱千代の富士の偉業を讃える記念館がオープンしました。

→ 稽古土俵[九重部屋と同じ状態で再現] QTVRパノラマ映像

北海道出身の横綱は8人でもちろん全都道府県中最多です。
しかし近年は北海道出身の横綱はもとより大関も誕生しておらず、北海道相撲界の地盤低下を心配する声も聞かれています。

今や力士にあこがれる若い世代は年々減少。
国際色豊かになった相撲界も来月14日(日)からはもう九月場所が始まります。
日本人の横綱が待たれます。

ところで、お相撲さん(力士)の給金をご存知でしょうか?
【力士給金】
力士には相撲協会から給料が支払われます。
ただし月給が貰えるのは十両以上の関取だけで、幕下以下(力士養成員)の力士には給料は無く、本場所ごとに交通費と場所手当て、奨励金が支払われるのみです。

それではその中身は)
※ 横綱:282万円
※ 大関:234万7000円
※ 三役:169万3000円
※ 平幕:130万9000円
※ 十枚目(十両):103万6000円

* そしてお馴染みの懸賞金は:1本6万円なり。

懸賞金にに関しては、1997年3月の時点で、取組み一番につき、スポンサーから日本相撲協会に寄せられるお金は60,000円と決まっており、このうち25,000円は相撲協会が、5,000円は場内放送料などとして引かれるため、勝ち力士が手にするのは1本で30,000円となります。

十両でも月給100万円を越えるのです。
庶民にはため息の出るような額ですが、手にするのは一握りの力士のみで、何事も人並み以上の努力が必要です。
日本の若人よ!チャレンジしてみては。

→ 横綱メモリアルホール QTVRパノラマ映像
→ 横綱メモリアルホール QTVRパノラマ映像

【横綱千代の山・千代の富士記念館】
◎住  所:〒049-1312 北海道松前郡福島町字福島190番地
◎電  話:0139-47-4527
◎詳細は記念館までお問い合せください。


※ 訪れた日:2008年7月29日
雨のち晴れ09:30 気温/20℃ (.all images:biei.info)

ザ・ウィンザーホテル洞爺

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, , 洞爺湖町 2 Comments »

函館(朝市)からは洞爺湖経由で美瑛町に戻ります。

その洞爺湖町には、沖縄県に次ぐサミット会場(主要国首脳会議)として日本全国いや世界中にその名が知れ渡った「ザ・ウィンザーホテル洞爺」があるところで、少し寄り道をして立ち寄ることにしました。


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ザ・ウィンザーホテル洞爺

同ホテルは、洞爺湖と噴火湾を見下ろす標高600メートルの山の上にそびえています。
洞爺湖畔からは一目でその姿が確認でき、ホテルを目差し坂を上り始め、近づくにつれそのまるで要塞のような造りの豪華ホテルが異様にさえ感じられます。

サイトの紹介では重厚なエントランや広々としたロビー、贅沢なスパ施設を併設し、ホテル内だけではなく大自然の中に設計されたゴルフ場、乗馬やフィッシング、カヌーなど、多彩なアウトドアが満喫できる国内でも有数のリゾートホテルとして紹介されています。

→ ザ・ウィンザーホテル洞爺 QTVRパノラマ映像

到着後、期待をしつつロビー内へ:


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ザ・ウィンザーホテル洞爺 ロビー

ロビーからの風景はさすがに素晴らしく絶好の撮影スポットです。
一息ついてコーヒーを飲むことにしました。

でてきたコーヒーはいたって平凡、味や薫りは専門店のほうがはるかに上で、税込み 1,000円近い料金にしてはお粗末。
また当日はわれわれのように宿泊客以外の観光目当ての方々も多く見られ、また時折演奏される生演奏はロビーに響き渡り非常にうるさい。

サミット開催決定後から立ち寄り観光ツアーが組まれるほどで、ホテル自体が観光資源化しているようで、ロビーのスタッフの対応も飛び抜けたものは何もなく、可もなく不可もなくといったところでした。

→ ザ・ウィンザーホテル洞爺 ロビー QTVRパノラマ映像

振り返れば、昨年の道内はサミット会場がどこに決まるのか、高橋知事を筆頭に道民も大きな関心を寄せていました。

そしてついに2007年4月23日北海道「ザ・ウィンザーホテル洞爺」がサミット会場に決定!
翌24日にはTV・ラジオはもちろん新聞各紙でも大きく取り上げられ、なかには、「バブルの舞台に大役」の見出しが踊る紙面もありました。

かつてのバブルの象徴から世界の檜舞台に選ばれた「ザ・ウィンザーホテル洞爺」とはどうようなホテルなのか?

このホテルの前身は「エイペックスリゾート洞爺」。
北海道の建設会社「カブトデコム」の子会社「エイペックス」が、1993年に総工費665億円もの巨額を投じて建設しました。資金の大半は北海道拓殖銀行が融資。

ところがバブルがはじけ日本中が大不況に陥るなかでも、北海道は特にその影響が深刻で大きいものでした。
ホテルのメインバンクだった拓銀は、日本中に大きな波紋を投げかけながら1997年11月に破綻。これに連鎖した形でエイペックスも1998年3月に自己破産を申請。
まさにバブル崩壊の象徴的な建物となりました。

その後、同ホテルは皆さんよくご存知の警備保障会社セコムのグループ会社が買収。そしてその運営を「ザ・ウィンザー・ホテルズ インターナショナル」に任せました。

この会社は、窪山哲雄氏が1997年1月に設立したホテル運営会社で、窪山社長の下で再建が計られることとなりました。
そして2002年6月1日に「ザ・ウィンザー・ホテル洞爺」の看板を掲げ経営が再開。
この時の買い取り価格は50億円ともいわれ、700億円近い投資額に遠く及ばないものでした。TVドラマ「ハゲタカ」の光景が脳裏をかすめます。

サミット会場に選ばれた理由の一つには、何と言っても地理的環境から警備が容易なことがあげられます。しかしバブルの象徴であったホテルが世界の桧舞台として選ばれた最大要因ははたして?

同ホテルのサービスの質へのこだわりなどは勿論言うまでもないことなのでしょうが、われわれ庶民には推し量ることのできない大きな要因が働いたのかもしれません。

函館 → 洞爺湖 → ルスツ → 中山峠 → 定山渓 → 札幌 → 旭川で遅い夕食を取り、午後10時過ぎに無事自宅に戻りました。
2泊3日のトータル走行距離:1,200㎞。 久しぶりに運転の疲れる道南巡りでした。
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【ザ・ウィンザーホテル洞爺  The Windsor Hotel TOYA】
◎住  所:〒049-5722 北海道虻田郡洞爺湖町清水
◎電  話:フリーダイヤル0120-290-500



※ 訪問日:2008年7月30日(水)
晴れ16:00 気温/23℃ (.all images:biei.info)

函館朝市

2008年 : パノラマ[道内], 函館市, 建造物, No Comments »

早いもので今日はもう自宅に戻る日です。
帰路につく前、函館朝市を見学することにしました。

魚介類、野菜、青果、乾物、惣菜まで函館の新鮮な食材が揃い、古くから市民の台所として愛され続ける函館朝市は、はこだて自由市場・中島廉売と共に函館の三大市場です。


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函館朝市

JR函館駅西口から徒歩1分というアクセスの良さで、駐車場に車を止め、まずはメインストリートの仲通りから歩き始めました。もちろん写真のように歩行者天国になっています。

時刻は午前9時30分。朝市を廻るには遅い時間帯なのかも知れません。
人出もそれほど多くはなく、いつもTVで見るような混雑をした様子はまったくありません。市場内も買い物客を獲得するための呼び込みが勢いよく飛び交っています。

→ 函館朝市 QTVRパノラマ映像


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函館朝市 活イカ釣り堀

函館の朝市は戦後の闇市から始まった、日本で最も古い部類の市場。
かつては立ち売りを路上で設営して、露店の形態で営業していた。

昭和31年頃現在の場所に移転し、魚介類や野菜、青果、乾物から駄菓子や衣料品まで、400余軒もの店舗がひしめきあっていて、朝5時から観光客も訪れるそうです。
また近年は昔ながらの風情を残しながら改修も行われていて、どんぶり横丁市場なども完成し、更なる集客努力にも力が入っています。

さて今年は原油の高騰で旬のイカの値段が気になるところです。
価格を見るため駅二市場内へ入ると、活イカ釣り堀があり親子の歓声があがっていました。
イカの値段はもちろん美瑛で買うより安いのは当然なのですが、これからの長い距離を持ち帰るわけにもいかず、昆布や佃煮を買うことにしました。

→ 函館朝市 活イカ釣り堀 QTVRパノラマ映像


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函館朝市

どんぶり横町市場 → 駅二市場 → そして朝市発祥の地「朝市ドーム」内へ入ります。
さすがに昆布を中心に海草類が豊富です。
値段も表示価格で納得せずに、価格交渉で安くしてもらうのが腕の見せ所。
なお市場で2,000円以上の買い物をすると1時間駐車場代が無料。

→ 朝市発祥の地「朝市ドーム内」 QTVRパノラマ映像


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函館朝市

→ 函館朝市仲通り QTVRパノラマ映像

朝市はもちろん函館の夜景、歴史的建造物など、一見順調のように見える函館観光も近年は客数減少に頭を痛めています。

来年開港150周年の節目を迎える函館市。
諸行無常。良いことばかり(悪いことばかり)が続かないのが世の常です。
短い時間で飛び回りましたが、さらなる飛躍を期待したい美しい町:函館市でした。

これから美瑛町まで約440㎞:帰路もまた丸一日車の運転が続きます。

【函館朝市:函館朝市協同組合連合会】
◎住  所:〒040-0063 北海道函館市若松町9番19号
◎営業時間:5:00 ~ 12:00頃 (一部15:00頃)
◎休  日:日曜 駐車場/買物、飲食で無料
◎電  話:(0138)22-7981
◎アクセス:JR函館駅 西口から徒歩1分、函館空港からタクシーで25分



※ 訪問日:2008年7月30日(水)
晴れ時々くもり09:40 気温/22℃ (.all images:biei.info)

江差町 [江戸の歴史と文化を伝える]

2008年 : パノラマ[道内], 北海道遺産, 建造物, , 歴史・伝承, 江差町 No Comments »

NHKの大河ドラマ篤姫もいよいよ面白くなってきましたが、松前町を後にして悲運の徳川幕府軍艦「開陽丸」を目指し江差町へ向かいます。

江差町は北海道の南西部に位置し、北海道文化発祥の地ともいわれ、江戸期のニシン漁最盛期には「江差の五月は江戸にもない」といわれるほどの繁栄を極め、北前船交易によりもたらされた江差追分などの伝統芸能や生活文化が数多く伝承され、江戸の歴史と文化を今に伝えています。

国道228号の海岸沿いを走ること約1時間。
(途中、中世日本海北方交易の中心拠点であった上ノ国(かみのくに)を通過)
前方左手に三本マストの帆船が見えてきました。江差町です。
朝から小雨の降り続く生憎の空模様ですが、まずは道すがらのJR江差線江差駅前に立ち寄ってみました。


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JR江差線 江差駅

江差駅を後に、いよいよ開陽丸です。


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悲運の徳川幕府軍艦「開陽丸」

その軍艦は、駅よりほど近いく開陽丸青少年センターに復元保存されています。

「葵の枯れゆく散り際に開陽丸」と詠われた徳川幕府の巨船開陽丸。
幕末にオランダで建造された幕府軍艦で、戊辰戦争中に榎本武揚らを乗せ活躍しましたが暴風のため僅か1年7ヶ月後の明治元年(1968年)江差沖で座礁、沈没。

それから124年、
平成2年4月にオランダに残っていた設計原図をもとに実物大で復元されました。

昭和50年から始まった引き揚げ作業で発掘された遺物は約33,000点にも及んでいます。
開陽丸は、日本の近代化に著しく貢献し、オランダ留学を果たした榎本武揚はじめ14名のありし日の姿など、貴重な資料、遺品の数々が船内に保管展示されています。
※ 開陽丸出土遺物:江差町指定有形文化財

→ 悲運の徳川幕府軍艦【開陽丸】 QTVRパノラマ映像

そして町中心部へ車を走らせる頃には青空が広がり始めました。
まずは私の定番行動:地元の役場を訪れ資料の閲覧や史跡等のお話を伺います。


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江差町役場

江差町役場内は開放感があり、あまりの立派な造りに驚き。

一通り資料を頂き、役場正面左手前にある国の指定重要文化財「旧中村家」へ歩き始めました。


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旧中村家 正面から

ここ旧中村家は、近江商人大橋宇兵衛が建設したもので、ヒノキアスナロ(ヒバ)を主材料に、土台は北前船で運んできた越前の笏谷石(しゃくだに-いし)を積み上げて建てられました。さらに母屋から浜側まで文書倉、下の倉、ハネダシ(はね出し)まで続く通り庭様式で、当時の面影を偲ぶ問屋建築の代表的造りの建造物です。

役場近くの横断歩道正面にハネダシ(桟橋兼倉庫の役目)が見えます。(上の写真)
昔は建物のすぐ前が港。船が着岸し、このハネダシと呼ばれる海岸に柱を立てて作られた倉庫が荷揚げ場となり荷役を行っていた。(現在は埋め立てられ国道228号となっている)
母屋(正面)は一本内側の道路(いにしえ街道)に面しており、その背後に数個の倉とこのハネダシが連なっています。

住宅は大正初期に大橋家から中村米吉が譲り受け、昭和46年に重要文化財に指定、49年に中村家より町に寄贈されました。
そして昭和57年に修復作業が完了し、現在は一般公開されています。

→ 旧中村家 QTVRパノラマ映像


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いにしえ街道マップ「中村家エリア」

旧家の並ぶ「いにしえ街道」をさらに歩き「横山家」へ向かいます。


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横山家

ここ横山家は初代から数えること200年が経過。
初代は天明6年(1786年)現在地において漁業、商業、回船問屋を営んでいました。

現在の建物は今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年に道の文化財指定を受け、現在はこちらも一般公開されており、母屋と四番蔵にはニシン漁全盛期に使用されていた生活用具などが展示されており、当時の暮らしぶりを知ることのできる貴重な建物となっています。

こちらも旧中村家と同じで傾斜地に建てられた正面からハネダシまで全体の奥行きには驚きます。(横川家は奥行きが70mあるといいます)


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江差姥神大神宮

横山家の正面、通りの斜め右手には「江差姥神大神宮(えさし-うばがみだいじんぐう)」があります。

毎年8月9日~11日の三日間行われる江差姥神大神宮渡御祭(えさし-うばがみだいじんぐう-とぎょさい)は豪華な13台の山車(やま)が町中を練り歩く、道内で最も絢爛豪華なお祭りで、「姥神大神宮渡御祭と江差追分」は北海道遺産に選定されています。
道内の祭りで一度は見てみたい一つです。

→ 横山家 & 江差姥神大神宮 QTVRパノラマ映像

旧関川家別荘」にも足を伸ばしたいのですが、時刻は午後3時を過ぎています。
また函館まで戻らねばなりませんので今回は諦めることにしました。

関川家は松前藩きっての豪商として江差で回船問屋を営んでいました。
別荘には、江差最盛期のころの様子を伝える貴重な古文書や調度品が大量に保存、公開されているところでまたの楽しみにとっておくことにしました。
残されている古文書のなかでも「関川家文書 (セキカワケ-モンジョ)」は江差の歴史を知る上で貴重な資料となっています。


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関川家文書(セキカワケ モンジョ)

※ 関川家文書 (セキカワケ モンジョ)
内容は江差町史・資料編四(江差町史編集室)にて見ることができます。
町史の主な内容は、昭和53年に初公開された江差の豪商関川家の膨大な古文書中より一部を翻刻したもので、松前藩勘定奉行、開拓使の準判仕御用達を勤めた8代目関川平四郎の日記19冊を含む。 ( 江差町 昭和56年刊 1546頁)

姥神大神宮渡御祭の起源は360年前にさかのぼります。
その年のニシンの豊漁に感謝を込めて行われたお祭で、現在も毎年8月9日~11日にまちは祭り一色となります。
13台の山車が祇園囃子の調べにのって町内を練り歩くさまは圧巻。

江差追分は中山道の馬子唄ルーツに、北国の厳しい風土にもまれながら多くの先達に唄い継がれてきました。日本国内だけでなく、海外にも多くの愛好者を持ちます。はるか遠い江差のニシン景気を今に伝えます。
(北海道遺産より)

【江差】 アイヌ語地名
 エサシ = 昆布の意



※ 訪問日:2008年7月29日(火)
雨時々晴れ14:50 気温/22℃ (.all images:biei.info)

松前城 [北の小京都]

2008年 : パノラマ[道内], 北海道遺産, 建造物, , 書籍・雑誌, 松前町 No Comments »

28日(月)から2泊3日で道南:渡島・檜山支庁へ出かけました。
函館松前江差を駆け足で廻った様子を順不同で紹介をして行きます。

昨日函館へ向け出発。
しかし函館に着く頃にはどしゃ降りの雨となりました。
道北は晴れていても、道南は毎日雨続きの空模様で改めて北海道の広さを実感します。

一夜明け、今日29日は函館から国道228号を松前町へ向け車を走らせます。
(午前7時40分出発)。
松前の手前に北海道最南端の地「白神岬」があります。


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強風の吹き荒れる白神岬

岬で写真を撮るため車のドアを開けようとするのですが強風で押し戻され、車のドアが開かないほどの強い風が吹き抜けています。
また北海道の海沿いを走っていていつも感じるのは、気温や風などの影響か、本州に比べて磯の匂いが弱いように思えます。

午前10時40分:松前町役場に到着。
役場内で資料を頂き、すぐ裏手の「松前城」へ向かいました。
城は町のシンボルであり、松前公園は北海道が誇る桜の名所でもあります。


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松前町役場

北海道で唯一の藩である松前藩は江戸幕府誕生からわずか3年後に成立、松前藩が蝦夷地の交易権を支配し、多くの北前船が行き来し繁栄しました。
そのため松前は北の小京都ともいわれ、日本の歴史のなかでも異彩をはなつ最北の古都なのです。

【松前城(福山城)】
日本海から太平洋に抜ける「津軽海峡」。
この入り口に位置する松前に海を向かって睨みを効かすように建つ城、それが渡島管内松前町にある白亜の城「松前城(福山城/ふくやまじょう)」です。
道内でも福山城というより松前城のほうがとおりがいいようです。


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復元された「搦手二の門」より

戦国時代、豊臣秀吉によって蝦夷島王と認められた蠣崎義広(かきざきよしひろ)は、徳川家康より松前の名乗りを許され、現在の松前城の地:福山に館を築きました。
以来松前氏は代々福山を拠点にして幕末まで13代に渡って蝦夷地支配を行います。

嘉永2年(1849年)幕府は北方警備強化(ロシアの南下に備え)のため松前崇広に新しい城を築かせます。
崇広は兵学者高崎藩市川一学を招き五年の歳月をかけて、日本古来の城の形を継承しつつも西洋の大砲技術を取り入れた松前城を完成させました。


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安政5年における松前城下 (岡山市 多田伊之輔氏所蔵:松前町史より)


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慶応3年7月の松前福山城 (市立函館図書館所蔵:松前町史より)

→ 復元された「搦手二の門」より QTVRパノラマ映像

平成16年春に搦手(からめて)二の門、天神坂門および城の周囲に構えられていた台場の一部が復元され、「搦手二の門」の塀には鉄砲狭間(てっぽう-ざま)が並んでいます。

帯曲輪 (おび-ぐるわ)には七門の大砲が据えられた一番から七番の台場があります。
津軽海峡に近づく外国船を見張ることが松前城の役目なのです。

天神坂門から搦手二の門に至る景観は、明治以降破壊されていた石垣を発掘調査で地中に残存している部分を検出し、忠実に石垣を復元、その上に門や塀を復元している。

また馬坂口は松前城の搦手にある門で、箱館戦争のさい土方歳三率いる旧幕府軍の歩兵隊が攻め上った坂だといわれています。

→ 松前城:天守と本丸御門(表門) QTVRパノラマ映像

復元された天守はコンクリート造りですが、昭和24年に焼失した外観を忠実に復元。
窓は小さく造られ実際より天守を大きく見せ、壁の内側には砲撃に耐えるよう鉄板が貼られています。現在天守の内部には「松前城資料館」があります。

天守の横に残る「本丸御門(表門)」は、「本丸御殿玄関」の一部と共に建築遺構。
本丸御門(表門)は城の門としては珍しい「切り妻屋根」になっており、冬場の凍結や雪の重み、強い潮風への対策から銅板で葺かれている。
塀の裾の部分は石垣で、城の石垣としては珍しい「亀甲積」になっている。


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本丸御門


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福山館本丸玄関(昭和58年まで松城小学校玄関として使用:松前町史より)

また表門の渡櫓(わたりやぐら)のある石垣には、箱館戦争の折に土方歳三らの軍勢が放った大砲の弾痕後が残っている。

外国船の攻撃に備えて築城された松前城。
皮肉にも明治元年新政府軍についた松前城は、旧幕府軍の猛攻を受け落城。翌年進攻した政府軍に奪回されるが二度の戦火にあっている。

また蝦夷地全体の支配の中心となるはずであったが、安政元年(1854年)6月、幕府は対露警備強化の観点から箱館奉行を再設置し、安政2年(1855年)2月23日にはこれまで松前藩領だった箱館周辺8ヶ村と全蝦夷地を幕府直轄としたため、その任務はあらたに建設される五稜郭(亀田役所土塁、また柳野城とも)に移された。

※ 築城時から現存する本丸御門は国の重要文化財、また2001年には北海道遺産(「福山城と寺町」)に選定された。

→ 本丸御門(表門) QTVRパノラマ映像
→ 本丸玄関 QTVRパノラマ映像

松前といえば桜!
北海道が全国に誇る桜の名所でもあります。

雪どけ後、春を待ちかねたように咲き誇る桜は、250種、実に10,000本以上。
染井吉野・大山桜はもとより、松前で生まれた北鵬・静香など、春の松前は桜色一色になります。

そして城を後にして、足早に近くにある「松前藩屋敷」へ。


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松前藩武家屋敷

たまたま松前城築城400年記念「松前の歴史」が目につき購入。(税込:¥1,200)


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概説 松前の歴史

→ 松前藩武家屋敷内 QTVRパノラマ映像
→ 髪結 QTVRパノラマ映像

石田城と並び日本における最後期の旧式城郭である松前城。
戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す元新選組の土方歳三が率いる旧幕府の軍と攻防を繰り広げ、落城させられたことはあまりにも有名で、函館「五稜郭」と共に兼がね訪れるのを楽しみにしていた処でした。

【福山城(松前城)の沿革】
 約550年前の松前には大館と呼ぶ館があったが、後に松前氏を名乗った蠣崎氏がこの地に居住し徳山館と名づけ、松前家5世慶広が慶長5年(約380年前)に現城跡に大規模な館を造り「福山館」と称した。
 
 その後嘉永2年、17世崇広の代に北辺警護の必要上幕府は松前藩に命じて本式の城を築かせ、兵学者市川一学の設計により旧城をこわして新築し、安政元年に完成した。
 東西240m、南北300m、16の門、7つの砲台、4つのやぐらを有するわが国最後の本格的築城であった。

 明治元年箱館戦争のとき、攻防のちまたとなり、明治8年天守と本丸御門を残して大部分はとりこわされた。
 城跡は昭和10年国の史跡に、天守と門は昭和16年国宝に指定されたが昭和24年業火のため三層天守を焼失し、国宝指定が解除された。
 昭和25年本丸御門は国の重要文化財に指定されている。
 昭和35年天守閣、同36年搦手門は鉄筋コンクリートで再建された。
(松前城資料館 福山城の沿革より)

【松前】 アイヌ語地名
 マツ・オマイ
 マト・マイ = 婦人のいるところ
先住民の住む地に、和人の女性も住むという珍しさを表しているといわれています。

松前に一度は訪れてみたいと思い始めたのは、やはり司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」を読んでから。
江戸時代北方の航路を開拓しロシアとの外交交渉でも活躍した北前船船頭「高田屋嘉兵衛」の生涯を描いた小説で、松前城も重要な舞台となります。

【菜の花の沖】
       ・
       ・
松前藩が、北海道という広大な地を支配しながら、山ばかりの松前半島の南端の福山の地を根拠地としているのは、蝦夷に対する自信のなさのあらわれといっていい。
(なぜ松前様はこんなところにいるのか)
       ・
       ・
(小説 「菜の花の沖」より)

真の国際人とはどうあるべきか?
長編ですが一読をお勧めします。



雨後晴れ11:20 気温/22℃ (.all images:biei.info)

金沢・長町武家屋敷界隈

2008年 : パノラマ[道外], , 石川県 No Comments »

祝い事があり、1年ぶりで北海道を離れ石川県金沢市へ出かけました。


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流れ矢を防ぐ母衣(ほろ)を背にした加賀藩藩祖前田利家像

1泊2日の慌ただしい予定の中、朝食までの空き時間に宿泊ホテルの近くを散策することにしました。時刻は午前5時50分、今朝はどんよりとした生憎の曇り空です。

ホテルを出ると、まず目に飛び込んでくる尾山神社の「神門」。
創建時からそのデザインがよくないと言われ続けてきた神門も、時の流れと共にいつしか
斬新かつ貴重と評価されるまでにいたり、現在では重要文化財に指定されています。

建物も人も、時代の流れと共に運命が変わることは往々にしてあるものです。


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武家屋敷跡

そして長町(ながまち)へ向かいました。

この界隈は旧加賀藩士が住んでいた武家屋敷跡が多く残っている観光スポット。
今から20年前に金沢を訪れた時には時間が無く、一度は立ち寄ってみたいところでした。

その武家屋敷に向かう手前に、※金沢市足軽資料館(かなざわしあしがるしりょうかん)がありました。しかし早朝のため館内に入ることはできません。

【足軽資料館】
早道飛脚足軽の組屋敷地であった旧早道町(現幸町周辺)に残されていた高西家、清水家の2軒の足軽屋敷を移築し、内部を公開。
足軽とは身分の低い歩兵のことだが、加賀藩の足軽は、小さいながらも庭付きの一戸建てに住み質素に暮らしていました。
また、間取りも接客空間を重視した武家屋敷の流れをくむ。
職務、武術、世襲など足軽関係の文献資料も公開し、足軽の暮らしや歴史を紹介しています。
※ 武家屋敷散策マップより

→ 金沢市足軽資料館 QTVR映像

さすがに資料館以外の土産物店なども観光客に合わせて朝の動きが始まるようで、午前7時前に開いている店などはどこにも見あたりません。

大野庄用水の流れる音しか耳につかなかった武家屋敷界隈も、この時間になってやっと散歩をする人の姿がポツリポツリと見うけられるようになってきました。

→ 武家屋敷跡 QTVR映像
→ 武家屋敷跡 QTVR映像
→ 武家屋敷跡 QTVR映像


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武家屋敷跡

複雑に入り組んだ石畳の小道。もう少し時間があればのんびりと歩けたのですが残念。
足早にホテルに戻り、帰宅の準備を始めました。

曇り06:10 気温/18℃ (.all images:biei.info)

流氷見物

2008年 : , 道内 No Comments »

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流氷:紋別

 週初めから天候に恵まれました。

今日は家族のものが「ガリンコ号2」に乗船のため紋別まで出かけました。

ところが着いてみると「流氷が無い!」
先週末の暴風で姿を消していまいました。
まさに流氷も生き物。その場にいつまでもとどまってはくれません。

防波堤に遮られて逃げ出せなかった流氷が僅かに名残を残しています。

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船を追いかけるカモメ

船が動き出すとカモメが後を追いかけてきます。

流氷は当てが外れましたが、青い空とオホーツク海に久しぶりにのんびりとしたようです。
晴れ(.all images:biei.info)

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