二風谷ダム[にぶたにダム]

2010年 : アイヌ民族, パノラマロード, , 映画・ビデオ・TV, 道内 No Comments »

まずまずの天候に恵まれ昨日の「第33回 宮様国際スキーマラソン」は終了しました。

   第31回大会(QTVR) フルスクリーンパノラマ

今日は午後の空きを利用し、2月7日にNHKで放送された「あるダムの履歴書 ~北海道・沙流川流域の記録~」の録画を見ることにしました。


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『あるダムの履歴書~北海道・沙流川流域の記録』

この取材記録はアイヌの聖地が二風谷ダム建設計画により埋められしまった経緯を、北海道アイヌ・萱野 茂さん、貝澤 正さん親子、そして地元住民の視点を通して丁寧に描かれています。

取材開始はなんと1988年暮れから始まったといいますから、22年間追い続けた記録がこの1時間30分の番組に凝縮されています。
「壊すのは簡単!」
「人間が不用意に自然に手を加えてしますと、自然は思わぬしっぺ返しを加えてくる。」

以前古書店で買った、貝澤さんの著書「アイヌ わが人生」。
この番組で思っても見なかった貝澤 正さんの肉声を聞くことができ本当に良かった。


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山仕事に精を出す、在りし日の貝澤 正さん

亡くなられる前、NHKが病床にある貝澤さんにインタビューをしていました。

地球上には人間だけではないんだ。
キツネも住んでいる。 
・・・・
木にも神様が宿っている。
       ・
       ・
       ・
精神文化が人間を育てていく人間の一番大事な文化。その精神文化を日本人にも分かってもらって、良いところを取り上げてお互いに助け合って行く。
       ・
       ・
やっぱり日本人は悪いわ!
北海道をこれだけハゲ山にしてしまったんだ。
[貝澤 正]

かつては清流が流れていた沙流川(さるがわ)。
全国でただひとつ建設が「違法」とされたダム「二風谷ダム」、現在そのダム湖はすでに半分近く土砂に埋もれています。

今後も続くであろう、人間が自然に手を加えることで起きる様々な問題を投げかけており、まさに普遍的なテーマとしてマイナス / プラス両側面を二風谷ダムを通して見つめて行くため、今後も取材は継続されるそうです。自然と人間との関わりを。

地元住民でないわれわれ傍観者がダム建設に賛成 / 反対と声をあげることは簡単。

ふと気がつくと、自分の生まれ育った地に大きな問題が持ち上がり、その流れに翻弄されながら死を迎えたとしたら。
人として生まれ。そして生きて死んで行くとはどういうことなのか。

曇り15:00 気温/-1.5℃ (.all images:biei.info)

水無月

2009年 : アイヌ民族, 北のガーデニング, 宿根草(多年草), 日常の様子, 歴史・伝承, No Comments »

やっと二日ほど晴れ間が広がったかと思えばもう下り坂に向かい、今日は朝から強風が吹き荒れています。
周期的な天気変化は秋らしいと言えば秋らしいのですが。

明け方の気温も一気に下がり始め、庭先の「水無月」がピンク色を帯び何ともいえない色合いに変化をしてきました。
水無月はとても美しいノリウツギの園芸品種で、20~30cmの大きな円錐状の花穂全体が装飾花になっています。
※ ノリウツギは両性花と装飾花がある。

ところでノリウツギには面白い思い出があり、道内に移り住んだ当時、野道を散歩していた折りに通りがかりのご夫婦が「サビタが綺麗に咲いている!」と言われ、「サビタ」それは何?と。
振り向いても分からず、「サビタとは何ですか?」と尋ねると、「ノリウツギ」のことでした。
北海道では「サビタ」と呼ぶのだと知ったのは14年も前のこと。
逆にノリウツギと言っても地元の方にはピンとこないようです。
と言うより、分かる方は少数。

広辞苑を引くと、

のり‐うつぎ【糊空木】
ユキノシタ科の落葉低木。各地に自生。高さ約3メ-トル、葉は楕円形で対生または三輪生。夏、茎頭の大きな円錐花序に、多数の白色結実性の小花と、アジサイに似た少数の白色大形装飾花をつける。枝が中空なためパイプ・ステッキを作り、樹皮から製紙用の糊をとる。ノリノキ。サビタ。
引用:「広辞苑」

確かに、サビタとでています。

さてその不思議な呼び方(名)の語源はと調べると、一説には「アイヌ語が語源」との説もありますが詳細は未だ不明のようです。

アイヌ名:「サビタ・ラスパ」
アイヌ語ではラスパは:槍の柄と穂先をつなぐ棒「継ぎ手」のことだそうですが、サビタの由来は、やはり不明とのことです。
引用:「アイヌ民族の有用植物」北海道立衛生研究所

また、山間の沢などに多いことからサビタの語源はそのあたりからきている。もともとは「サワフタギ」だったらしい。それが次第になまって「サビタ」になったのだという (辻井達一,1995,日本の樹木 都市化社会の生態誌) 解釈もあるようです。

     

話がどんどんそれて行きますが、上記に名前のでてきました「北海道立衛生研究所」:
美瑛町からそうたびたび行くことはできませんが、北海道大学の北隣にあるのが北海道立衛生研究所。
そしてその敷地内にある植物園が「北海道立衛生研究所薬用植物園」です。

足を踏み入れると、札幌市中心部でこれだけの植物を見ることができる薬用植物園があることに、まず驚きます。

手入れが行き届いた園内には、自然の宝庫北海道でも普段あまり見ることのできない山菜や類似毒草など、誤採取にも役立つ貴重な植物も多く、私などアイヌ民族に興味を持つ者には必見の「アイヌ民族の有用植物」:アイヌ民族が生活に使っていた植物コーナーが設けられているなど、北海道ならではの雰囲気を持つ貴重な植物園です。

ぜひ、足を運んで見られてはいかがでしょうか。 ただ公開日時が短く限られていますのでご注意を。
短いとなれば尚更見て見たくなるのが人情ですが、北海道の財産ともいえる期待を裏切らない植物園です。

道立衛生研究所薬用植物園 一般公開日
◆ 期 間:5月から9月まで第1及び第3金曜日
◆ 時 間:13時30分 ~ 15時30分
◆ 連絡先:食品薬品部薬用資源科 電話 011-747-2746
  また定期的に「薬草観察会」も行っています。
  詳しくは、上記連絡先まで。

また、近くに北海道医療大学薬学部付属薬用植物園・北方系生態観察園がありますので間違われないように。
こちらは開園時間が 9:00 ~ 17:00 なので、ここを見学して時間調整をしながら道立衛生研究所へ向かわれると良いでしょう。

本題に戻って、
サビタもそうですが、その土地ならではの言葉とは面白いものです。
そしてその冬、以前ブログでも書いた「手袋を穿く(はく)。」 手袋は穿くのだと知りました。

庭先の水無月の8月1日から本日までのスナップを。


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8月1日の水無月


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8月11日の水無月


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8月20日の水無月


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8月27日:本日の水無月

午後2時を過ぎて小雨が降り始めました。
雨の強くなる前に、ジャム用のブルーベリーを採ることにしました。


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ブルーベリー

曇り14:00 気温/19℃ (.all images:biei.info)

旭川市博物館

2009年 : アイヌ民族, パノラマ[道内], 旭川市, 自然 [現象、温暖化 他] No Comments »


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旭川市博物館は、旭川市大雪クリスタルホール内にあります。

車の点検に旭川日産自動車まで出かけ、点検時間を利用して旭川市博物館へ向かいました。

予てからこの機を利用して、昨年(2008年11月1日)リニューアルオープンした旭川市博物館を見学するのを楽しみにしていました。
当博物館は平成5(1993)年に開館し、昨年度アイヌ文化の紹介を中心とした展示にリニューアルされました。

場所は国道237号沿い道の駅 あさひかわ 横:旭川大雪アリーナ裏手にある旭川市大雪クリスタルホール内にあります。


 フルスクリーンパノラマ

さすがにリニューアルオープンされた館内は清潔感に溢れています。

アイヌ文化の紹介を中心とした展示の中でも必見は、当博物館が誇る世界的にも有数のアイヌ資料(サハリン・大陸の先住民資料を含む)コレクションの一部が見られることです。
同館はもともと「河野コレクション」など北方民族関係の資料を所蔵。

国内4大アイヌコレクション
河野コレクション(旭川市博物館所蔵:1759点)、児玉コレクション(白老町アイヌ民族博物館所蔵:2263点)、馬場コレクション(函館市博物館所蔵:758点)、土佐林コレクション(早大所蔵:65点)とともに4大アイヌコレクションといわれています。

上川アイヌ


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世界的にも有数のアイヌ資料コレクションの一部を展示

アイヌ資料

 フルスクリーンパノラマ

また知里幸恵の自筆ノートも興味深く、その美しく柔らかな繊細な筆跡に芯の強さと心優しい人柄がうかがえます。


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知里幸恵の自筆ノート

当館は先住の民アイヌの歴史と文化を始め上川の自然と歴史など、展示室面積は2,000㎡を越えるスケール。その大きな館内は今後も機会あるごとに訪れたいと思っています。
北海道の貴重な資料が満載の博物館の入館料は大人:300円。


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イヨマンテ

館内QTVR映像

アイヌ資料

 フルスクリーンパノラマ

アイヌの農耕

 フルスクリーンパノラマ

アイヌの住居

 フルスクリーンパノラマ

旭川博物館

 フルスクリーンパノラマ

今日のアイヌ文化

 フルスクリーンパノラマ

あまり空き時間が取れませんので、当日撮影(館内撮影可:但しストロボ使用は不可)したいろいろな写真は今後逐次時間を見てご紹介して行きます。

旭川市博物館[Asahikawa City Museum]

◎開館時間:午前9時 ~ 午後5時(入館受付:午後4時30分まで)
◎休 刊 日:第2・第4月曜日(月曜日が祝日の時は翌日の火曜日)
      年末年始(12月30日 ~ 1月4日)
◎入 館 料:大人:300円(パスポート:600円)
      高校生:200円、小中学生:無料

〒070-8003 北海道旭川市神楽3条7丁目 旭川市クリスタルホール内
      電話:0166-69-2004  FAX :0166-69-2001

曇り10:50 気温/-1℃ (.all images:biei.info)

神々のうた 大地にふたたび

2008年 : アイヌ民族, 日常の様子, 未分類, 歴史・伝承 No Comments »

今夜NHK総合テレビ(22:00 – 22:43)の「その時歴史が動いた」では【知里幸恵】を取り上げます。

その時歴史が動いた:第340回
神々のうた 大地にふたたび
〜アイヌ少女・知里幸恵の闘い〜
平成20年10月15日 (水) 22:00〜22:43 総合

日本が近代化に邁進する明治、古くから北海道に住むアイヌ民族の暮らしと文化は消し去られようとしていた。
そんな中、アイヌの少女・知里幸恵は、アイヌ文化の豊かさを伝え、民族の復権を訴えようと立ち上がる。

「人間の本当の豊かさとは何か」幸恵は、アイヌが語り継いできた伝承を本にまとめ、世の人々に問いかけようとする。

是非ご覧ください!

→ 知里幸恵

シャマイクルチセ [丸山公園]

2008年 : アイヌ民族, アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 市街地, 美瑛町 5 Comments »

JR美瑛駅正面から一直線に延びる丸山通を直進すること約1㎞、交差点左手奥に鬱そうとした茂みの小山が見えてきます。 丸山公園(シャマイクルチセ)です。


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丸山公園

アイヌ名で「シャマイクル(文化神)のチセ(家)」と呼ばれていた美しい小山で、神の居場所として崇高された処がここにある丸山、現在の丸山公園です。

神居古潭(カムイコタン)のように激流の流れる険しい断崖の外にも、平らな土地のなかにポツンと目立つ小高い丘にも神様はいらっしゃるのです。

美瑛町でのアイヌの活動を記録した関連資料はきわめて少なく、このあたりでは仮小屋を立てて狩猟をする程度でコタン(集落)などはなく、上川アイヌの狩猟や薬草などの採取場所として、また十勝アイヌなど他地域との往来の地域であったと考えられ、鮭などもとれないため住居を定める場所としては適さなかったようです。

しかし町内で発見された石器や土器の多くはアイヌ文化より古い縄文時代、そしてさらに古い先土器時代の石器までが見つかっており、はたして美瑛の先住民はいつ頃からいたのか?
大変興味深いところです。

【シャマイクル(文化神)】
アイヌの人たちに生産を教えたとされる神様として尊ばれているカムイ(神)。
そのカムイを祭ったところ(チセ)、聖地がシャマイクルチセ。
開拓時代には、丸山山頂に熊の頭蓋骨が供えられ、アイヌの熊祭りが行われていたらしい。 (郷土資料第2集 「開拓のあしあと」より)

参)日高地方ではオキクルミが最高の文化神とされる。

→ 丸山公園正面 交差点付近 QTVRパノラマ映像


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銀杏並木

公園横には丸山運動公園陸上競技場があり、上記写真は新設されたスポーツセンター側からみた丸山です。

スポーツセンターの駐車場に車を止め、公園内を少しだけ歩いてみることにしました。

風情のある銀杏並木を通り抜け公園内へと。
来月7月24日には、1989年から始まった「那智・美瑛火祭」が行われる処です。

→ 丸山公園 QTVRパノラマ映像

【美瑛町におけるアイヌ民族の往来】
安政四年(1857年)本道奥地調査のため入ってきた松田市太郎、松浦武四郎、両人の日誌によると、美瑛地域ではアイヌ民族が仮小屋を立てる程度で集落などは見られなかったという。

また上川アイヌの居住地を知ることのできる記録「野帳巳第三番」「丁巳日誌」においては入植当時(1898年)ローネナイ・忠別方面に川上イヤンテ一族が住んでいたという。
彼らは十勝アイヌを祖先にもつが、上川アイヌと馴染まずにその周辺に住んでいたという。 その他にはアイヌ民族の定住していた記録はない。
(「美瑛町史」より)


晴れ11:50 気温/24℃ (.all images:biei.info)

チノミシリカムイノミ

2008年 : アイヌ民族, アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 旭川市 3 Comments »

アイヌ民族の伝統儀式「チノミシリカムイノミ」(聖なる地でのお祈り)が旭川郊外の嵐山で行われました


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「アイヌ文化の森・伝承のコタン」 嵐山

→ 伝承のコタン QTVR映像
→ チノミシリカムイノミ QTVR映像

このカムイノミの儀式は毎年この時期にアイヌ文化への理解を深めてもらおうと、旭川アイヌ協議会などの主催で開かれており、今年は第33回目。

どこのアイヌの村にも必ずチノミシリ「我らが祈る山」があり、旭川では嵐山をチノミシリと言っています。

【チノミシリ】(ci-nomi-sir 「われら・祭る・山」) アイヌ語


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カムイノミ(祈りの儀式)

神聖な雰囲気が漂う新緑の木々で覆われたコタンで静かに儀式が始まり、ポロチセ(poro-chise)の中で、いろりを囲み神酒をイナウ(木幣)にかける儀式に始まり、チセの外へ出て神々に祈りをささげた。
また、クーチンコロとアイヌ民族で旭川木彫り熊の祖と言われる松井梅太郎の顕彰碑にも酒を供えられました。

【チセ】(chise)= 家
     → チ(ci)= 我ら、セツ(set)= 寝床

  *ポロチセ(poro-chise)
     → ポロ(poro)=大きい、チセ(chise)=家
     コタンを統一する村長の家
旭川竜谷高等学校郷土部 近文地方における住居 より) アイヌ語

→ チノミシリカムイノミ儀式 QTVR映像
→ チノミシリカムイノミ儀式 QTVR映像


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ムックリの哭がコタンに木霊します。


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踊りが披露されました。

そして、伝統楽器ムックリの哭がコタンに木霊し、山の神や土地の神に一年の無事を祈る、ツルの舞「チカップウポポ」や動物の霊を送る舞「イヨマンテウポポ」が始まり、踊りと歌声が嵐山に吸い込まれて行きました。
最後に、一般の方々も踊りの輪の中に加わり一つになりました。

→ アイヌ民族 踊り QTVR映像
→ アイヌ民族 踊り QTVR映像

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そして今年も「アオバズク」が1羽。
「アイヌ文化の森・伝承のコタン」近くのミズナラの巨木を見上げると、枝分かれした新緑の葉陰にアオバズクが一羽。みじろぎもせずに留まっています。


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アオバズク

以前、アイヌ記念館の川村兼一館長のお話で、“フクロウは十数種類いて、アイヌではシマフクロウは「コンタクルカムイ(国をつくった神様、村の守り神、神の鳥など)」と言われていますが、アオバズクは旭川では「アフンラサンペ」、「あの世の化け物」:「アフン」は「あの世」で「ラサンペ」は「低い心」で、昔アイヌに悪いことをしたようです。”と言うお話がありました。
また阿寒湖に生息するマリモは「トーラサンペ」、「湖の魔物」と言う意味だそうです。

毎年このアオバズクの飛び立つ季節になると、羽ばたく瞬間を撮影するためにミズナラの下はカメラマンで埋め尽くされます。

もう戻らねばならない時間が近づいています。

隣の北邦野草園の入り口周辺だけ手短に見て帰ることに。
ところが、あっと言う間に顔から手足を虫に刺されました。
とにかくこの辺りは虫が多く、特にブヨには要注意です。

これからの時期、野草園観察は虫除けスプレーは必携なのですが、必ず効能を確かめてブヨに効くかどうかチェックしてください。
蚊成虫除けのみのスプレーでは全く効果がなく役に立ちません。
もちろん長袖・長ズボンは基本。
更に刺されやすい方・虫刺されで腫れ上がる体質の方は、顔を覆うネット付の帽子なども用意された方が良いでしょう。

【アオバズク】
アオバズクは、渡り鳥で、フクロウの繁殖が終わった5月頃から姿を見せます。
黒褐色の頭巾をかぶせたような頭と黄色の目が特徴的なフクロウ。
フクロウ類の中では最も一般的で、日本へは夏鳥としてほぼ全国的に渡来する。
平地や山地の樹洞に巣をつくり、夜間に飛び回って、昆虫類やカエル、小鳥やコウモリなどを捕食する。
青葉の映える5月ごろから見られることからこの名がある。
鳴き声がフクロウの鳴き声と間違う人も多いが、「ホッホッ、ホッホッ」とアオバズクの鳴き声は、2音づつ区切って鳴くのが特徴。

 和名:  アオバズク
 英名:  Brown Hawk Owl
 学名:  Ninox scutulata
 綱 :  鳥綱
 目 :  フクロウ目
 科 :  フクロウ科
 全長:  30センチ前後
 主な体色:  褐色
 鳴き方:  ホッホー
 嘴(くちばし)の形状:  鋭く湾曲
 嘴の色:  黒色
 冠羽:  ない
 脚色:  黄色
 季節:  5月~9月

晴れ11:40 気温/22℃ (.all images:biei.info)

アイヌ民族の昔話 ネット配信開始

2008年 : アイヌ民族, 道内 No Comments »

今から20~30年前には、まだアイヌの物語をたくさん知っているおばあさんがいて、「後の時代にひとつでも多くアイヌ語を残したい」と、わたしたちの博物館のテープレコーダーにたくさんのお話を残しました。
その中から7つ、絵本と日本語の朗読をつけてご紹介します。 【アイヌ民族博物館】

と、白老町のアイヌ民族博物館がアイヌ民族の伝承を収録した「デジタル絵本:ふたりのおばあさんが残したアイヌの絵本」のインターネット配信を始めました。

お二人のフチ(おばあさん)の肉声が聞くことができる貴重なサイトです。

 → こちらから (アイヌ民族博物館)

※ 関連記事

アイヌ民族の昔話 ネット配信開始 白老の博物館がデジタル絵本に(05/20 08:38)

古老のアイヌ語を交え、アイヌ民族の伝承を紹介するデジタル絵本

 【白老】胆振管内白老町のアイヌ民族博物館は、道内で語り継がれるアイヌ民族の伝承を収録した「デジタル絵本」のインターネット配信を開始した。既に亡くなった古老の肉声を交え、豊富なイラストでアイヌ文化を分かりやすく伝える内容だ。

 和人の女性がアイヌ民族の男性と結ばれ、コタンで幸せに暮らす「お姫様のいれずみ」、シマフクロウの神が人間界を救う「金色のひしゃく銀色のひしゃく」など七編。

 伝承や歌など、同館が所蔵する過去三十年分の録音テープの中から七編を選び、伝承を語った古老自身による約三十秒間のアイヌ語の語りと、翻訳した日本語の朗読を収録した。

 翻訳やイラストを担当した北原次郎太学芸員(32)は「アイヌ語を日常的に話す人がほとんどいなくなったいま、古老の語りは貴重な資料。絵本を通じてアイヌ民族の世界観に触れてもらえれば」と話す。

 独立行政法人・国立青少年教育振興機構の助成を受けて実施。
本年度も五編前後を追加する。                   北海道新聞(05/20)

知里幸恵 [ちりゆきえ]

2008年 : アイヌ民族, パノラマ[道内], 旭川市, 書籍・雑誌 6 Comments »

午前中、旭川市立北門中学校を訪れました。


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旭川市立北門中学校

もちろんお目当ては同校の「知里幸恵資料室」「郷土資料室」の見学です。


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知里幸恵文学碑

校内に入るとすぐ左手に「知里幸恵文学碑」が目につきます。

→ 知里幸恵文学碑 QTVR映像


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知里幸恵  知里むつみ所蔵

1903年(明治36年)、登別に生まれた知里幸恵

幸恵は19年という短い生涯のうち、6才から19才までの約13年間を旭川で過ごしました。
その彼女が旭川で生活していた場所が、現在の
旭川市立北門中学校のあるところ。

このことを後世に伝えるために、学校関係者はもとより地域の方々の協力のもと、1990年(平成2年)には校舎前庭に「知里幸恵文学碑」が建立され、1997年(平成9年)には校内の一角に「郷土資料室」が、そして2007年(平成19年)に「知里幸恵資料室」が整備されたとのことです。

予てから楽しみにしていただけに、どの写真や資料を見てもしばし釘付けになります。

→ 知里幸恵資料室 QTVR映像
→ 知里幸恵資料室 QTVR映像

北海道に移り住むまでは、アイヌ関連の本などあまり読まなかったわれわれ夫婦が移住後に出会った一冊の文庫本。
タイトルは「アイヌ神謡集」:もう12年も前のことです。

この神謡集は1922年(大正11年)3月、19歳の幸恵が母語をローマ字で、その翻訳を優麗な日本語で綴り残したのもです。

岩波文庫本は見開き左綴じという装丁で、左ページに母語のローマ字表記、右に日本語訳が掲載されています。
また編訳者の知里幸恵という響きの良い名前が非常にさわやかで新鮮な気分にさせてくれました。

「銀の滴(しずく)降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに。」という歌を私は歌いながら流(ながれ)に沿って下り 人間の村の上を通りながら下を眺めると昔の貧乏人が今お金持になっていて 昔のお金持が今の貧乏人になっている様です。
                       ・
                       ・

あまりにも有名なアイヌ神謡集冒頭の物語「梟の神の自ら歌った謡」の書き出しです。

しかしそれ以上に感動を呼ばずにおかないのは、その「序」。

「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。・・・・・」

と、幸恵の怒りと切々と祈るがごとく綴ったその言葉で始まる序文は身震いがします。

※ アイヌ神謡集「序」
※ アイヌ神謡集

このアイヌ神謡集が生まれる転機となったのが、15歳の時に出会った金田一京助

1918年(大正7年)に旭川郊外の近文(ちかぶみ)部落を訪れた金田一京助を泊めた縁から、自ら書き始めた「アイヌ神謡集」の出版の話が進み、1922(大正11)年5月に上京し、金田一家に寄寓しながら校正作業にあたるが、その年9月、心臓病で急死。
享年19歳3ヶ月という若さでした。

また自分の思いを胸が張り裂けんばかりに綴った幸恵の日記。
編集者から、「言わなければ知られずに済むのに、何でアイヌなんて言うのか」との言葉に対して憤慨し反発しています。

「(前略)同じ人ではないか。
私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと湿ひの無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知ってゐる。(後略)」

知里幸恵に関しては多くの学者や評論家など専門家の方々が研究され論表されていますが、我々のようなずぶの素人が惹きつけられる訳は。

自分さえよければが大手を振り、家族ですら崩壊しつつある昨今に於いて、命がけで守るものを私も・あなたもはたして持っているだろうか?
年若きアイヌ女性から学ぶべきことが山積しています。

北海道に移り住み遅ればせながら手にした一冊の文庫本。

その美しい日本語の中に潜んでいる本質や意味を推しはかることができてこそ、今なお続く「アイヌ民族」にかかわる諸問題と向き合うことができるのではないでしょうか。

※ 日記「七月十二日 晴、終日涼」


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知里幸恵

【知里幸恵の略歴】:1903年(明治36年) – 1922年(大正11年)
◆大正時代のアイヌ文化伝承者。北海道幌別生れ。旭川区立女子職業学校卒業。
  死後、1923年(大正12年) 「アイヌ神謡集」出版。
  北海道幌別のアイヌ村長(コタンコロクル」の家柄。
  知里高吉の長女、母はナミでユーカラの語り手金成(かんなり)マツの妹。
  知里高央(たかお)・知里真志保(ましほ)の姉。
  金田一京助の家に寄寓しているときに急死。

1903年 登別に生まれる。
1907年 弟、高央が誕生。この頃、祖母モナシノウクと2人暮らしを始める。
1909年 弟、真志保(アイヌ言語学者)誕生。
      旭川へ転居し、金成マツと祖母と3人暮らしを始める。
1910年 小学校へ入学するが、9月にはアイヌの児童が集まる小学校が開校し、
      そこに移る。
1917年 旭川区立女子職業学校へ入学。
1918年 金田一京助と出会う。(彼女:15歳の運命の出会い)
1922年 5月、東京の金田一宅に住み始めるが9月に亡くなる。
1923年 没後「アイヌ神謡集」(東京郷土研究社)が出版される。
1975年 東京から登別に改葬される。


(「アイヌ語地名を歩く」 山田秀三著 知里博士との出会いより.image: 北海道新聞社.)


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晩年のマツ(左) 金田一京助(中) 妹ナミ  知里むつみ所蔵

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そして郷土資料室へ。


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「あいぬの話」序 (金田一京助) : 知里幸恵資料室


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活発な活動を続ける北門中学校 郷土史研究部の皆さん

アイヌ民族の女性で長い間教員を務められた荒井和子さんが寄贈されたものをはじめ、
貴重な写真、資料、生活用具などが多数展示してあります。

また資料室では、旭川市文化奨励賞など数々の受賞歴を誇る同校郷土史研究部の皆さんの熱心な活動ぶりも紹介されていました。

この貴重な写真や資料を一目見るために、日本はもとより海外からも見学者が訪れるとのお話でした。素晴らしい時間をありがとうございました。

→ 郷土資料室 QTVR映像
→ 郷土資料室 QTVR映像
→ 郷土資料室 QTVR映像

晴れ時々曇り10:50 気温/21℃ (.all images:biei.info)

川村カ子トアイヌ記念館

2008年 : アイヌ民族, パノラマ[道内], 旭川市 No Comments »

今日は八十八夜。
午前中の仕事をすべて終わらせて、川村カ子トアイヌ記念館(かわむらかねとあいぬきねんかん)へ向かいました。


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川村カ子トアイヌ記念館

上川地方を代表するアイヌの旧家として知られる川村家第8代川村カ子トが、1916年(大正5年)にアイヌ民族文化の正しい伝承・保護を目的として設立された唯一の私設資料館。

と言うことは今年で92年の歴史があることになり、アイヌ文化の資料館としては日本最古のものです。

→ 川村カ子トアイヌ記念館正面 QTVR映像

記念館を入るとすぐ左手に、開拓期の近文アイヌの長老クーチンコロ(寛政4年~明治9年)の肖像が出迎えてくれます。


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アイヌの英雄:クーチンコロ

→ 館内 QTVR映像

今日も相変わらず昼間の3時間ほどの空き時間を使って自宅から往復しての見学。
いつものようにあまり腰を据えて見ることができません。


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館内

→ 館内 QTVR映像
→ 館内 QTVR映像

川村カ子トについては、「カネト_炎のアイヌ魂」を読まれた方も多いでしょう。

1893年(明治26年)、旭川永山町キンクシベツでアイヌ酋長7代目イタキシロマ、
母アベナンカの息子として生まれる。
幼年時代蒸気機関車を目にし、心を打たれ鉄道の仕事に就くことを決意する。
小学校卒業後、鉄道人夫として測量隊の手伝いをするなかで測量を学び、アイヌという理由で給料を半分にされるなど多くの悔しさを味わいながらも勉強を重ね、測量技手の試験に合格。
鉄道員札幌講習所を卒業後、1909年、鉄道省の測量技手として北海道の鉄道建設の先頭に立ち、北海道各地の線路工事の測量に携わる。
1914年(大正3年)に陸軍入隊、2年後に除隊。

1925年(大正14年)、三信鉄道に請われ、難しすぎて引き受けての無かった天竜峡~三河川合間の測量をアイヌ測量隊をひきいて敢行。
現場監督も務めて難工事を完成させた。

三信鉄道開通後は、樺太や朝鮮などで鉄道測量を手がけた後,旭川市の河村アイヌ記念館の館長としてアイヌ民族の文化保存に尽力する。
1960年(昭和35年)4月には、三信鉄道における貢献を縁として、信州に招かれている。
1977年(昭和52年)1月、死去。83歳。

アイヌ民族の生活用具や貴重な資料はもちろん、鉄道測量技手として名を馳せてた、当時のレベルなどの測量道具や鉄道資料も数多く展示されている。


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測量道具や鉄道資料も数多く展示されている。

→ 館内 QTVR映像

この川村カ子トの「カ子ト(かねと)」と言う名前について、現在の館長である川村兼一氏は、カネトの「ネ=子」は出生届けの時に、役所の窓口が間違ったと言うお話を。

またアイヌの方々の名前についても以前講演で、
アイヌは子どもが生まれてもすぐには名前を付けず、赤ちゃんをシウシペとかシシベ
(うんことしっこの付いたもの)と呼ぶとのこと。

これはアイヌの方々の宗教観で、病気や悪魔が来ないように、わざと汚く名前を呼び、
成長するに従い、その子の性格や行いを見た上で、また将来こういう人間になってほしいという願いを込めて初めて、4~5歳で名前が付けられたとのことです。

初代イタキシロマさん(現館長:兼一氏のおじいちゃん)は「言論正しい」。
曾祖父モノクテさんは「力のある」。母方の祖母はハルコロ「食料を持つ」の意味に。

因みに、金成マツさんは、金成イメカニともいい、イメカニ「ご飯をてんこ盛りに盛る」、
またマツはアイヌ語で「女」と言う意味で、金成さんはアイヌ名を二つ持っていた。
と、お話をされていました。

館内を見終わり、外にあるウラチセ(笹葺き家)に入ってみました。


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ウラチセ(笹葺き家)

→ ウラチセ内部 QTVR映像

チセ
※ チセの呼び方の違いについては → こちら

そして帰る間際に民族衣装を着せてもらうことになり、短くも楽しい時間でした。

現在は第九代目の川村兼一氏(三代目館長:シンリツ・エオリパック・アイヌ/先祖を敬う人)が同館を継がれており、旭川にお越しの際は是非とも皆様も記念館に足を運んで見てください。

【川村カ子トアイヌ記念館】
  北海道旭川市北門町11丁目
  ℡:0166-51-2461

晴れ時々曇り12:10 気温/17℃ (.all images:biei.info)

アイヌ文化の森 【伝承のコタン】

2008年 : アイヌ民族, アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 旭川市 No Comments »

嵐山公園にある「アイヌ文化の森 伝承のコタン」:
こちらも北邦野草園に隣接しています。

京都に住んでいたときには、アイヌと言えば「アイヌ木彫熊」を知っている程度で関連の本を読むこともなく、身近な存在ではありませんでした。

しかし関西から移り住んで以来、
北海道に住む以上、また余所者の我々が北海道を語るときにもアイヌの問題を抜きには語れないとの思いから、伝承のコタンはもとより旭川市博物館川村カ子トアイヌ記念館などへは時間の合間によく訪れます。

その点美瑛という土地柄は、旭川の隣でもあり情報には恵まれていました。
何よりも上記アイヌ文化関連施設はもとより、地元の方々の活動や研究が盛んなのです。
中でも旭川中央図書館で見た旭川竜谷高校・郷土部の皆さんの研究報告書。
素晴らしい内容には感心せざるを得ません。

移り住んだ者として、その地域のルーツを知ることは大切なことではないでしょうか。

前置きが長くなりました。
ここ伝承のコタンの建物は、その昔アイヌの人々が生活していた住居(チセ:笹ぶき住居)、食料庫(プー pu)、祭壇(ヌササン nusasan)などを、言い伝え等に基づいて復元したものです。

今回はチセの中に説明員の方がたまたまおられ、住居などの屋根、壁は笹葺きで、夏の暑さ・冬の寒さから身を守るのはもちろんのこと、動物などに襲われても安全なように、使用する笹は一冬越したものを採取するなど、慎重に吟味されたそうです。

また、この笹葺き作業は、女性が主役で、男性は笹の運び役を担っていたそうで、屋根葺き作業に精を出したのはアイヌ女性。
そしてここにあるチセもすでに50年の風雪に耐えているとのこと。

しかしさすがに少しずつ傾きの出始めているところもあり、今は良質の材料が入手困難であったりと、壊れた場合はこれを最後に笹ぶき住居の新たなる復元は難しいとの話もされていました。

チセの周りには、鮮やかな黄色の花をつけた エゾノリュウキンカ[蝦夷立金花]
(別名:ヤチブキ/谷地蕗)が今を盛りに咲いていました。


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アイヌ文化の森 伝承のコタン

かつて北海道はアイヌの人々の天地でした。
ともすれば我々は表面的な、北海道の厳しい風土につちかわれてきたアイヌ民族文化や神々を尊び、その敬けんな祈りから生み出された豊かな芸術性ばかりに目が行きがちですが。


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エゾノリュウキンカとチセ(笹ぶき住居)

原点の、かつて北海道はアイヌの人々の所有であったことを忘れてはなりません。

どのような経緯で現在のようにほぼすべてが和人の土地となってしまったのか?
アイヌ問題の中でも特に突出している、明治から昭和にかけて争われた旭川の近文アイヌ地問題。誰もが、真実の行方を知りたいと思うのはごく自然なことです。

歴史の真実を巡っては、今なお紛糾している問題が全国にも多くあります。
小学校から当たり前のように教えられてきた歴史ですが。その真の歴史認識の困難さが至る所で顔を出しています。

いまやすべての価値を金額に換算して、便利さ=幸福であると疑わなくなった我々に、
真実を見抜く目などあるのだろうか。

→ 伝承のコタン QTVR映像
→ チセ:笹ぶき住居 QTVR映像
→ 伝承のコタン QTVR映像

【チセ】(chise)= 家
一民族における建築様式は、その風土環境によって手に入りやすい材料を使用する。
そのため屋根の材料の違いによって家の呼び方が違う。
※ ウラス チセ    笹小屋  (上川、十勝地方)
※ ムン  チセ    萱葺小屋 (胆振、日高地方)
※ タツト  チセ    樺皮小屋 (根室)
(旭川竜谷高等学校郷土部 近文地方における住居より) アイヌ語

クーチンコロ顕彰碑

明治の始め、石狩役所まで行って兵部省の謀略を打ち砕いて上川アイヌの危機を救ったアイヌの英雄クーチンコロ

明治2年、蝦夷地を北海道としアイヌの人々を「平民」として戸籍を作成し国家に編入する一方で「旧土人」と呼び差別。
開拓使を置きアイヌ民族の言語や生活習慣を禁じ和風化を強制する政策を取り始めた頃、兵部省石狩役所は「上川アイヌ全員は石狩浜に集団移住せよ」と一方的に通告しました。
自然と共に平和に暮らしていた上川アイヌの重鎮クーチンコロは同年12月3名の供を連れ雪を踏み分け石狩に出向き談判した結果、石狩浜集団強制移住は撤回となったのでした。
この碑はアイヌ人の誇りを持って生きたクーチンコロを讃え建てられました。
昭和49年12月建立。

松浦武四郎ら多くの探検家たちも、クーチンコロに導かれてこそ奥地踏査が可能となりました。

→ クーチンコロ顕彰碑 QTVR映像

近文山、嵐山の一帯を上川アイヌの人たちは「チ・ノミ・シリ」ci-nomi-sir(我ら・祈る・山)と呼び、聖なる地として大切に守られてきました。
ここ伝承のコタンは、その地に作られた旭川市博物館の分館です。
コタン(アイヌ語で集落)

【アイヌ文化の森 伝承のコタン:嵐山公園内】
◎所在 〒071-1249 上川郡鷹栖町字近文9線西4号
◎施設の構成 ・展示、管理棟、チセ(笹葺住居)3棟、食料庫(プー) 他
◎見学  [開館・公開日時]9:00~16:30、
[休館日]毎月第2、第4月曜日、設備点検日、年末年始(12月30日~1月4日)
◎交 通 車利用→JR旭川駅から北西に約7km。河川沿いに無料駐車場有り。
バス利用→あさでん33番(1条8丁目のりば)から北邦野草園で下車(徒歩約15分)
◎入園料 無 料
◎連絡先 電話0166-55-1541

晴れ時々曇り11:50 気温/20℃ (.all images:biei.info)

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