追記) 陸軍水道跡

2009年 : パノラマロード, パノラマ[道内], 建造物, 歴史・伝承, 美瑛町 No Comments »

「陸軍水道跡」て何ですか・・・?


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ドーム型のコンクリート建造物(水道貯水槽)

美馬牛周辺のフルスクリーンパノラマ映像内の「陸軍水道跡」についてお問い合わせをいただきました。

   美馬牛周辺 フルスクリーンパノラマ
※ 右上地球儀アイコンで地図開閉:地図内青色ボタンでパノラマ切替

実はあまり詳しく記載されているものがなく、町史など一部資料の抜粋です。

【陸軍水道跡】
◎戦争史跡
◎所在地:美瑛町立美馬牛小学校裏 (注:個人の所有地)

現JR富良野線の東側はかって第七師団演習地であったところで、駅周辺には兵舎があり、またこのあたりは主として軍馬が飼育されており、それぞれの水利用として作られたのがこのドーム型のコンクリート建造物(水道貯水槽)。
水源地は下方の沢(美馬牛川)から引いてきた。
(美瑛町戦争史跡より)

3基あるそうですが1基はほとんど確認できません。

自宅のあるパノラマロードの水沢-三愛-新星-美馬牛地区は旧陸軍の演習地であったところです。

水道跡や監的壕(※下記参照)などに関しては、今では地元の方々に聞いても存在すら知らない方々ばかりで、旭川市春光の北鎮記念館(ほくちんきねんかん)あたりに行かないと詳しくは分からないようです。
機会があれば訪れ、事後報告をさせていただきます。

※ 参照 → 監的壕

旭岳 [旭岳温泉から登る]

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, 日常の様子, 東川町 2 Comments »

姿見駅から旭岳の麓に噴煙をあげている爆裂火口の右手に小さな小屋が見えます。
この旭岳石室の前にあるのが姿見の池。

われわれは時間が限られているので、計画書を出し時間の許すまで旭岳山頂近くまで行くこととし、予定時間になれば引き返すことにしました。

登山をせずに、ここ旭平周辺散策路のみを回るには1時間前後(一周約1.7㎞)でまたロープウェイまで戻って来られますが、やはり素晴らしい景色を楽しみたいものです。
時間を気にせずゆとりの散策が一番です。

姿見の池周辺

さてわれわれのルートは、旭岳ロープウェイ姿見駅 → 第一展望台 → 第三展望台 → 夫婦池 → 姿見の池(五合目:旭岳石室(いしむろ)のあるところ) → 旭岳山頂に向け時間の許す限り。



さっそく登山口のある姿見の池を目差し散策路を歩き始めました。


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夫婦池(鏡/左、摺鉢池/右)


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地獄谷を臨む


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姿見の池


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登山道に入るとガレキの世界へと変わる


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登山道:1,800m付近

しかし、あまりの素晴らしい天候に写真を撮るのに追われどんどん時間が経過して行きます。結局、あと僅かで山頂という標高2,000m付近で諦めることにしました。

もう戻らないと、仕事に間に合わなくなります。
後ろ髪を引かれる思いで快晴の旭岳を後にしました。

→ 散策路 第一展望台 QTVRパノラマ映像
→ 散策路 第三展望台 QTVRパノラマ映像
→ 散策路 夫婦池 QTVRパノラマ映像
→ 散策路 QTVRパノラマ映像
→ 散策路 地獄谷を臨む QTVRパノラマ映像
→ 散策路 姿見展望台(五合目:1,665m) QTVRパノラマ映像
→ 旭岳 登山道 QTVRパノラマ映像
→ 旭岳 登山道 QTVRパノラマ映像

快晴13:20 気温/16℃ (.all images:biei.info)

緑の相談所 [ロマンチック街道]

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, 日常の様子, 旭川市 No Comments »

プラタナスの並木から神楽岡公園内へと歩き始めました。

旭川市内には、大小合わせて約400ヶ所もの公園があり、市民の憩いの場として、またスポーツやレクリエーションの場として広く親しまれています。

ここ神楽岡公園は、市内中心部にある常磐公園が平坦地であることに対比し、丘陵地の公園を建設するために大正2年より長い年月をかけ計画整備をされ現在に至っています。

園内は起伏に富んだ丘陵地で、四季を通じて春の花見、夏のキャンプ、遠足、運動会や冬の歩くスキーなど、旭川市民の憩いの場として幅広く利用されています。
同時に災害時の避難場所や環境保全の役割を果たしていることは言うまでもありません。
また数多くの小動物や野鳥が生息し、野鳥観察の場としてもお勧めのところです。

公園内を歩き始めると赤い実をつけたナナカマドが鮮やかです。


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ナナカマド

平日の昼間とあって年配の方々の姿が多く、ゆったりと散歩をされる方、「可愛いでしょう!」と孫の手を引きながら笑顔が溢れんばかりのおばあちゃん。
静かな時間が流れています。

広葉樹見本園まで歩いてくると「緑の相談所」が見えてきました。


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緑の相談所 正面

→ 神楽岡公園 緑の相談所 QTVRパノラマ映像

パーゴラを通り抜け相談所内に入り、まず植物展示室(温室)へ。


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緑の相談所 9月の催し

→ 神楽岡公園 緑の相談所[植物展示室] QTVRパノラマ映像
→ 神楽岡公園 緑の相談所[植物展示室] QTVRパノラマ映像

相談所内には、専門のスタッフの方が常駐し花や緑に関するあらゆる相談・質問にのっていただける園芸愛好家にとっては緑のマイドクター、頼もしい相談コーナーなのです。

他に、視聴覚コーナー、図書・資料コーナー、緑の学習室など、神楽岡公園内の中心となる施設なのです。
※ 訪れた日:2008年9月5日(金)

神楽岡公園 緑の相談所
◎場 所/ 旭川市神楽岡公園
◎沿 革/ 平成元年8月 旭川市の都市緑化の拠点として開設。
◎交 通/ 車利用→JR旭川駅から約5km(約15分)無料駐車場あり。
◎開館時間/ 午前9時~午後5時
◎休館日/ 第2・第4月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始(12月30日~1月4日)
      ※11月1日~3月31日の期間は毎週月曜日が休館日となります。
◎入館料/ 無 料
◎連絡先/ 旭川市緑の相談所 電話:0166-65-5553、(FAX:0166-65-5626)

全国花と緑の相談所一覧



晴れ11:20 気温/24℃ (.all images:biei.info)

ロマンチック街道

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, 日常の様子, 旭川市 1 Comment »

記録的な寒さをもたらした8月が終わり、9月に入ると今度は一変して毎日30℃近い気温の日が続き、残暑厳しい第一週となっています。
この異常気象がもたらしたのか、今まで見たこともないキノコが昨日ガレージ脇に。
地表を突き破って現れた一本のキノコ。その正体は?


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不気味なキノコ:正体は? 昨日より7㎝も伸び(23㎝に)開きかけています。

高さ16㎝、まるできりたんぽが突き刺さっているような姿。色から判断するに毒キノコには間違いなさそうですが正体が分かりません。
買い物の時間を利用して、旭川市神楽岡公園内にある「緑の相談所」まで足を伸ばすことにしました。

神楽岡公園に向かう旭川市神楽岡・緑が丘地区にあるプラタナスの並木通り(神楽岡通)は「ロマンチック街道」と呼ばれ、そのプラタナスのトンネルを通り抜けて公園に行くのがいつも楽しみになっています。


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ロマンチック街道 (プラタナス通り)

→ ロマンチック街道 [旭川市神楽岡] QTVRパノラマ映像

朝から晴れ間が広がり、プラタナス並木からの木漏れ日が眩しく、清々しい緑の通りは格別に美しい。美瑛町には無い光景です。


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ロマンチック街道(プラタナス通り)

ロマンチック街道は「ロマンチック通り」「プラタナス通り」「プラタナス並木路」など呼び名も様々、約3キロにわたってその通りの両歩道にプラタナスが植えられています。

プラタナスの枝葉が車道の真上を覆いつくしており、その爽やかな「緑のトンネル」は見事の一言で、プラタナスの並木としては国内最大級の規模。

また神楽岡公園の周辺地区には教会・レストラン・菓子店等の西洋風建物が数多く立ち並んでおり、美しいプラタナスの並木に良くマッチしています。
季節を問わずいつ歩いてもすがすがしく美しい並木道です。

神楽岡公園「緑の相談所」の様子は次回お届けします。

→ La foresta angelo 聖ピエール教会 [ロマンチック街道] QTVRパノラマ映像
→ 神楽岡セント・ポール教会 [ロマンチック街道] QTVRパノラマ映像



晴れ11:20 気温/24℃ (.all images:biei.info)

旭川神社

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, 旭川市, 生き物[動物、昆虫 他] No Comments »

先月(7月)15日あさひかわ新聞にて「大きなコウモリを見に行こう」という見出しが目につきました。


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旭川神社御社殿

日時は7月19日夜。旭川神社内でのでコウモリウォッチング。
今年で4回目になるウォッチングで、道内に生息する19種のコウモリの中では最大、両翼を広げると40㎝にもなるヤマコウモリが、樹洞から飛び立つ姿を観察する会です。

旭川神社境内にある大きな木の樹洞。
この季節になると日暮れの時間帯に100頭以上のコウモリが出てくるそうです。
大都市のなかでコウモリが見られるならぜひ参加したかったのですが、当日は仕事で都合がつかず。

それから1ヶ月。
買い物途中に旭川神社まで足を伸ばすことにしました。

今日は朝から曇り空。神社境内は大木に覆われ昼なお薄暗く、肝心の木の樹洞もどれなのかは分かりませんでした。


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加藤の松

ここ旭川神社は明治26年に鎮座:屯田兵ゆかりの神社として知られています。
また境内にある旭川兵村記念館は、昭和37年開村70周年を機に神社事業として、屯田兵をはじめ一般開拓の資料を境内旧社殿に展示していたが、昭和53年より新築事業を進め、昭和55年財団設立、昭和57年4月開館した。
現在千数百点を展示し、屯田兵関係の展示施設としては道内でもっとも充実している。

→ 旭川神社 QTVRパノラマ映像

その記念館横に立派な松がありました。(加藤の松)

【加藤の松】
加藤建夫(たてお)隼(はやぶさ)戦闘機隊長(大東亜戦争で活躍した陸軍の名パイロット、空の軍神と称えられ昭和17年ビルマで戦死)の生家の松です。
京都府出身の屯田兵加藤鉄蔵(建夫の父)が庭に植えたもので同家の過ぎ来し方を見守ってきたゆかりの松ですが、現地主より記念として寄贈を受け約1㎞南方の現在地に移植したものです。
※ ビルマ(現:ミャンマー)   [旭川兵村記念館]



曇り11:10 気温/21℃ (.all images:biei.info)

横綱の里 [福島町]

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, , 福島町 No Comments »

静かなお盆を迎えています。

今日は午後から久しぶりの雨。
昼間の空き時間に先月末からできなかった「横綱千代の山・千代の富士記念館」(松前郡福島町)のQTVR映像を作成。訪れた当日(2008-07-29)の様子をご紹介します。


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横綱千代の山・千代の富士記念館

函館から国道228号を走り、道の駅「横綱の里ふくしま」の隣に記念館はあり、朝から降り続いた雨も福島町に着いた頃には上がり始めました。

→ 横綱千代の山・千代の富士記念館 QTVRパノラマ映像


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九重部屋と同じ状態で再現された稽古土俵

北海道横綱の里として知られる福島町に、平成9年4月:道産子初の第41代横綱千代の山、そして相撲界初の国民栄誉賞に輝く第58代横綱千代の富士の偉業を讃える記念館がオープンしました。

→ 稽古土俵[九重部屋と同じ状態で再現] QTVRパノラマ映像

北海道出身の横綱は8人でもちろん全都道府県中最多です。
しかし近年は北海道出身の横綱はもとより大関も誕生しておらず、北海道相撲界の地盤低下を心配する声も聞かれています。

今や力士にあこがれる若い世代は年々減少。
国際色豊かになった相撲界も来月14日(日)からはもう九月場所が始まります。
日本人の横綱が待たれます。

ところで、お相撲さん(力士)の給金をご存知でしょうか?
【力士給金】
力士には相撲協会から給料が支払われます。
ただし月給が貰えるのは十両以上の関取だけで、幕下以下(力士養成員)の力士には給料は無く、本場所ごとに交通費と場所手当て、奨励金が支払われるのみです。

それではその中身は)
※ 横綱:282万円
※ 大関:234万7000円
※ 三役:169万3000円
※ 平幕:130万9000円
※ 十枚目(十両):103万6000円

* そしてお馴染みの懸賞金は:1本6万円なり。

懸賞金にに関しては、1997年3月の時点で、取組み一番につき、スポンサーから日本相撲協会に寄せられるお金は60,000円と決まっており、このうち25,000円は相撲協会が、5,000円は場内放送料などとして引かれるため、勝ち力士が手にするのは1本で30,000円となります。

十両でも月給100万円を越えるのです。
庶民にはため息の出るような額ですが、手にするのは一握りの力士のみで、何事も人並み以上の努力が必要です。
日本の若人よ!チャレンジしてみては。

→ 横綱メモリアルホール QTVRパノラマ映像
→ 横綱メモリアルホール QTVRパノラマ映像

【横綱千代の山・千代の富士記念館】
◎住  所:〒049-1312 北海道松前郡福島町字福島190番地
◎電  話:0139-47-4527
◎詳細は記念館までお問い合せください。


※ 訪れた日:2008年7月29日
雨のち晴れ09:30 気温/20℃ (.all images:biei.info)

ザ・ウィンザーホテル洞爺

2008年 : パノラマ[道内], 建造物, , 洞爺湖町 2 Comments »

函館(朝市)からは洞爺湖経由で美瑛町に戻ります。

その洞爺湖町には、沖縄県に次ぐサミット会場(主要国首脳会議)として日本全国いや世界中にその名が知れ渡った「ザ・ウィンザーホテル洞爺」があるところで、少し寄り道をして立ち寄ることにしました。


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ザ・ウィンザーホテル洞爺

同ホテルは、洞爺湖と噴火湾を見下ろす標高600メートルの山の上にそびえています。
洞爺湖畔からは一目でその姿が確認でき、ホテルを目差し坂を上り始め、近づくにつれそのまるで要塞のような造りの豪華ホテルが異様にさえ感じられます。

サイトの紹介では重厚なエントランや広々としたロビー、贅沢なスパ施設を併設し、ホテル内だけではなく大自然の中に設計されたゴルフ場、乗馬やフィッシング、カヌーなど、多彩なアウトドアが満喫できる国内でも有数のリゾートホテルとして紹介されています。

→ ザ・ウィンザーホテル洞爺 QTVRパノラマ映像

到着後、期待をしつつロビー内へ:


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ザ・ウィンザーホテル洞爺 ロビー

ロビーからの風景はさすがに素晴らしく絶好の撮影スポットです。
一息ついてコーヒーを飲むことにしました。

でてきたコーヒーはいたって平凡、味や薫りは専門店のほうがはるかに上で、税込み 1,000円近い料金にしてはお粗末。
また当日はわれわれのように宿泊客以外の観光目当ての方々も多く見られ、また時折演奏される生演奏はロビーに響き渡り非常にうるさい。

サミット開催決定後から立ち寄り観光ツアーが組まれるほどで、ホテル自体が観光資源化しているようで、ロビーのスタッフの対応も飛び抜けたものは何もなく、可もなく不可もなくといったところでした。

→ ザ・ウィンザーホテル洞爺 ロビー QTVRパノラマ映像

振り返れば、昨年の道内はサミット会場がどこに決まるのか、高橋知事を筆頭に道民も大きな関心を寄せていました。

そしてついに2007年4月23日北海道「ザ・ウィンザーホテル洞爺」がサミット会場に決定!
翌24日にはTV・ラジオはもちろん新聞各紙でも大きく取り上げられ、なかには、「バブルの舞台に大役」の見出しが踊る紙面もありました。

かつてのバブルの象徴から世界の檜舞台に選ばれた「ザ・ウィンザーホテル洞爺」とはどうようなホテルなのか?

このホテルの前身は「エイペックスリゾート洞爺」。
北海道の建設会社「カブトデコム」の子会社「エイペックス」が、1993年に総工費665億円もの巨額を投じて建設しました。資金の大半は北海道拓殖銀行が融資。

ところがバブルがはじけ日本中が大不況に陥るなかでも、北海道は特にその影響が深刻で大きいものでした。
ホテルのメインバンクだった拓銀は、日本中に大きな波紋を投げかけながら1997年11月に破綻。これに連鎖した形でエイペックスも1998年3月に自己破産を申請。
まさにバブル崩壊の象徴的な建物となりました。

その後、同ホテルは皆さんよくご存知の警備保障会社セコムのグループ会社が買収。そしてその運営を「ザ・ウィンザー・ホテルズ インターナショナル」に任せました。

この会社は、窪山哲雄氏が1997年1月に設立したホテル運営会社で、窪山社長の下で再建が計られることとなりました。
そして2002年6月1日に「ザ・ウィンザー・ホテル洞爺」の看板を掲げ経営が再開。
この時の買い取り価格は50億円ともいわれ、700億円近い投資額に遠く及ばないものでした。TVドラマ「ハゲタカ」の光景が脳裏をかすめます。

サミット会場に選ばれた理由の一つには、何と言っても地理的環境から警備が容易なことがあげられます。しかしバブルの象徴であったホテルが世界の桧舞台として選ばれた最大要因ははたして?

同ホテルのサービスの質へのこだわりなどは勿論言うまでもないことなのでしょうが、われわれ庶民には推し量ることのできない大きな要因が働いたのかもしれません。

函館 → 洞爺湖 → ルスツ → 中山峠 → 定山渓 → 札幌 → 旭川で遅い夕食を取り、午後10時過ぎに無事自宅に戻りました。
2泊3日のトータル走行距離:1,200㎞。 久しぶりに運転の疲れる道南巡りでした。
********************************************************************
【ザ・ウィンザーホテル洞爺  The Windsor Hotel TOYA】
◎住  所:〒049-5722 北海道虻田郡洞爺湖町清水
◎電  話:フリーダイヤル0120-290-500



※ 訪問日:2008年7月30日(水)
晴れ16:00 気温/23℃ (.all images:biei.info)

函館朝市

2008年 : パノラマ[道内], 函館市, 建造物, No Comments »

早いもので今日はもう自宅に戻る日です。
帰路につく前、函館朝市を見学することにしました。

魚介類、野菜、青果、乾物、惣菜まで函館の新鮮な食材が揃い、古くから市民の台所として愛され続ける函館朝市は、はこだて自由市場・中島廉売と共に函館の三大市場です。


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函館朝市

JR函館駅西口から徒歩1分というアクセスの良さで、駐車場に車を止め、まずはメインストリートの仲通りから歩き始めました。もちろん写真のように歩行者天国になっています。

時刻は午前9時30分。朝市を廻るには遅い時間帯なのかも知れません。
人出もそれほど多くはなく、いつもTVで見るような混雑をした様子はまったくありません。市場内も買い物客を獲得するための呼び込みが勢いよく飛び交っています。

→ 函館朝市 QTVRパノラマ映像


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函館朝市 活イカ釣り堀

函館の朝市は戦後の闇市から始まった、日本で最も古い部類の市場。
かつては立ち売りを路上で設営して、露店の形態で営業していた。

昭和31年頃現在の場所に移転し、魚介類や野菜、青果、乾物から駄菓子や衣料品まで、400余軒もの店舗がひしめきあっていて、朝5時から観光客も訪れるそうです。
また近年は昔ながらの風情を残しながら改修も行われていて、どんぶり横丁市場なども完成し、更なる集客努力にも力が入っています。

さて今年は原油の高騰で旬のイカの値段が気になるところです。
価格を見るため駅二市場内へ入ると、活イカ釣り堀があり親子の歓声があがっていました。
イカの値段はもちろん美瑛で買うより安いのは当然なのですが、これからの長い距離を持ち帰るわけにもいかず、昆布や佃煮を買うことにしました。

→ 函館朝市 活イカ釣り堀 QTVRパノラマ映像


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函館朝市

どんぶり横町市場 → 駅二市場 → そして朝市発祥の地「朝市ドーム」内へ入ります。
さすがに昆布を中心に海草類が豊富です。
値段も表示価格で納得せずに、価格交渉で安くしてもらうのが腕の見せ所。
なお市場で2,000円以上の買い物をすると1時間駐車場代が無料。

→ 朝市発祥の地「朝市ドーム内」 QTVRパノラマ映像


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函館朝市

→ 函館朝市仲通り QTVRパノラマ映像

朝市はもちろん函館の夜景、歴史的建造物など、一見順調のように見える函館観光も近年は客数減少に頭を痛めています。

来年開港150周年の節目を迎える函館市。
諸行無常。良いことばかり(悪いことばかり)が続かないのが世の常です。
短い時間で飛び回りましたが、さらなる飛躍を期待したい美しい町:函館市でした。

これから美瑛町まで約440㎞:帰路もまた丸一日車の運転が続きます。

【函館朝市:函館朝市協同組合連合会】
◎住  所:〒040-0063 北海道函館市若松町9番19号
◎営業時間:5:00 ~ 12:00頃 (一部15:00頃)
◎休  日:日曜 駐車場/買物、飲食で無料
◎電  話:(0138)22-7981
◎アクセス:JR函館駅 西口から徒歩1分、函館空港からタクシーで25分



※ 訪問日:2008年7月30日(水)
晴れ時々くもり09:40 気温/22℃ (.all images:biei.info)

江差町 [江戸の歴史と文化を伝える]

2008年 : パノラマ[道内], 北海道遺産, 建造物, , 歴史・伝承, 江差町 No Comments »

NHKの大河ドラマ篤姫もいよいよ面白くなってきましたが、松前町を後にして悲運の徳川幕府軍艦「開陽丸」を目指し江差町へ向かいます。

江差町は北海道の南西部に位置し、北海道文化発祥の地ともいわれ、江戸期のニシン漁最盛期には「江差の五月は江戸にもない」といわれるほどの繁栄を極め、北前船交易によりもたらされた江差追分などの伝統芸能や生活文化が数多く伝承され、江戸の歴史と文化を今に伝えています。

国道228号の海岸沿いを走ること約1時間。
(途中、中世日本海北方交易の中心拠点であった上ノ国(かみのくに)を通過)
前方左手に三本マストの帆船が見えてきました。江差町です。
朝から小雨の降り続く生憎の空模様ですが、まずは道すがらのJR江差線江差駅前に立ち寄ってみました。


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JR江差線 江差駅

江差駅を後に、いよいよ開陽丸です。


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悲運の徳川幕府軍艦「開陽丸」

その軍艦は、駅よりほど近いく開陽丸青少年センターに復元保存されています。

「葵の枯れゆく散り際に開陽丸」と詠われた徳川幕府の巨船開陽丸。
幕末にオランダで建造された幕府軍艦で、戊辰戦争中に榎本武揚らを乗せ活躍しましたが暴風のため僅か1年7ヶ月後の明治元年(1968年)江差沖で座礁、沈没。

それから124年、
平成2年4月にオランダに残っていた設計原図をもとに実物大で復元されました。

昭和50年から始まった引き揚げ作業で発掘された遺物は約33,000点にも及んでいます。
開陽丸は、日本の近代化に著しく貢献し、オランダ留学を果たした榎本武揚はじめ14名のありし日の姿など、貴重な資料、遺品の数々が船内に保管展示されています。
※ 開陽丸出土遺物:江差町指定有形文化財

→ 悲運の徳川幕府軍艦【開陽丸】 QTVRパノラマ映像

そして町中心部へ車を走らせる頃には青空が広がり始めました。
まずは私の定番行動:地元の役場を訪れ資料の閲覧や史跡等のお話を伺います。


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江差町役場

江差町役場内は開放感があり、あまりの立派な造りに驚き。

一通り資料を頂き、役場正面左手前にある国の指定重要文化財「旧中村家」へ歩き始めました。


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旧中村家 正面から

ここ旧中村家は、近江商人大橋宇兵衛が建設したもので、ヒノキアスナロ(ヒバ)を主材料に、土台は北前船で運んできた越前の笏谷石(しゃくだに-いし)を積み上げて建てられました。さらに母屋から浜側まで文書倉、下の倉、ハネダシ(はね出し)まで続く通り庭様式で、当時の面影を偲ぶ問屋建築の代表的造りの建造物です。

役場近くの横断歩道正面にハネダシ(桟橋兼倉庫の役目)が見えます。(上の写真)
昔は建物のすぐ前が港。船が着岸し、このハネダシと呼ばれる海岸に柱を立てて作られた倉庫が荷揚げ場となり荷役を行っていた。(現在は埋め立てられ国道228号となっている)
母屋(正面)は一本内側の道路(いにしえ街道)に面しており、その背後に数個の倉とこのハネダシが連なっています。

住宅は大正初期に大橋家から中村米吉が譲り受け、昭和46年に重要文化財に指定、49年に中村家より町に寄贈されました。
そして昭和57年に修復作業が完了し、現在は一般公開されています。

→ 旧中村家 QTVRパノラマ映像


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いにしえ街道マップ「中村家エリア」

旧家の並ぶ「いにしえ街道」をさらに歩き「横山家」へ向かいます。


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横山家

ここ横山家は初代から数えること200年が経過。
初代は天明6年(1786年)現在地において漁業、商業、回船問屋を営んでいました。

現在の建物は今から約160年前に建てられた家屋で、昭和38年に道の文化財指定を受け、現在はこちらも一般公開されており、母屋と四番蔵にはニシン漁全盛期に使用されていた生活用具などが展示されており、当時の暮らしぶりを知ることのできる貴重な建物となっています。

こちらも旧中村家と同じで傾斜地に建てられた正面からハネダシまで全体の奥行きには驚きます。(横川家は奥行きが70mあるといいます)


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江差姥神大神宮

横山家の正面、通りの斜め右手には「江差姥神大神宮(えさし-うばがみだいじんぐう)」があります。

毎年8月9日~11日の三日間行われる江差姥神大神宮渡御祭(えさし-うばがみだいじんぐう-とぎょさい)は豪華な13台の山車(やま)が町中を練り歩く、道内で最も絢爛豪華なお祭りで、「姥神大神宮渡御祭と江差追分」は北海道遺産に選定されています。
道内の祭りで一度は見てみたい一つです。

→ 横山家 & 江差姥神大神宮 QTVRパノラマ映像

旧関川家別荘」にも足を伸ばしたいのですが、時刻は午後3時を過ぎています。
また函館まで戻らねばなりませんので今回は諦めることにしました。

関川家は松前藩きっての豪商として江差で回船問屋を営んでいました。
別荘には、江差最盛期のころの様子を伝える貴重な古文書や調度品が大量に保存、公開されているところでまたの楽しみにとっておくことにしました。
残されている古文書のなかでも「関川家文書 (セキカワケ-モンジョ)」は江差の歴史を知る上で貴重な資料となっています。


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関川家文書(セキカワケ モンジョ)

※ 関川家文書 (セキカワケ モンジョ)
内容は江差町史・資料編四(江差町史編集室)にて見ることができます。
町史の主な内容は、昭和53年に初公開された江差の豪商関川家の膨大な古文書中より一部を翻刻したもので、松前藩勘定奉行、開拓使の準判仕御用達を勤めた8代目関川平四郎の日記19冊を含む。 ( 江差町 昭和56年刊 1546頁)

姥神大神宮渡御祭の起源は360年前にさかのぼります。
その年のニシンの豊漁に感謝を込めて行われたお祭で、現在も毎年8月9日~11日にまちは祭り一色となります。
13台の山車が祇園囃子の調べにのって町内を練り歩くさまは圧巻。

江差追分は中山道の馬子唄ルーツに、北国の厳しい風土にもまれながら多くの先達に唄い継がれてきました。日本国内だけでなく、海外にも多くの愛好者を持ちます。はるか遠い江差のニシン景気を今に伝えます。
(北海道遺産より)

【江差】 アイヌ語地名
 エサシ = 昆布の意



※ 訪問日:2008年7月29日(火)
雨時々晴れ14:50 気温/22℃ (.all images:biei.info)

松前城 [北の小京都]

2008年 : パノラマ[道内], 北海道遺産, 建造物, , 書籍・雑誌, 松前町 No Comments »

28日(月)から2泊3日で道南:渡島・檜山支庁へ出かけました。
函館松前江差を駆け足で廻った様子を順不同で紹介をして行きます。

昨日函館へ向け出発。
しかし函館に着く頃にはどしゃ降りの雨となりました。
道北は晴れていても、道南は毎日雨続きの空模様で改めて北海道の広さを実感します。

一夜明け、今日29日は函館から国道228号を松前町へ向け車を走らせます。
(午前7時40分出発)。
松前の手前に北海道最南端の地「白神岬」があります。


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強風の吹き荒れる白神岬

岬で写真を撮るため車のドアを開けようとするのですが強風で押し戻され、車のドアが開かないほどの強い風が吹き抜けています。
また北海道の海沿いを走っていていつも感じるのは、気温や風などの影響か、本州に比べて磯の匂いが弱いように思えます。

午前10時40分:松前町役場に到着。
役場内で資料を頂き、すぐ裏手の「松前城」へ向かいました。
城は町のシンボルであり、松前公園は北海道が誇る桜の名所でもあります。


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松前町役場

北海道で唯一の藩である松前藩は江戸幕府誕生からわずか3年後に成立、松前藩が蝦夷地の交易権を支配し、多くの北前船が行き来し繁栄しました。
そのため松前は北の小京都ともいわれ、日本の歴史のなかでも異彩をはなつ最北の古都なのです。

【松前城(福山城)】
日本海から太平洋に抜ける「津軽海峡」。
この入り口に位置する松前に海を向かって睨みを効かすように建つ城、それが渡島管内松前町にある白亜の城「松前城(福山城/ふくやまじょう)」です。
道内でも福山城というより松前城のほうがとおりがいいようです。


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復元された「搦手二の門」より

戦国時代、豊臣秀吉によって蝦夷島王と認められた蠣崎義広(かきざきよしひろ)は、徳川家康より松前の名乗りを許され、現在の松前城の地:福山に館を築きました。
以来松前氏は代々福山を拠点にして幕末まで13代に渡って蝦夷地支配を行います。

嘉永2年(1849年)幕府は北方警備強化(ロシアの南下に備え)のため松前崇広に新しい城を築かせます。
崇広は兵学者高崎藩市川一学を招き五年の歳月をかけて、日本古来の城の形を継承しつつも西洋の大砲技術を取り入れた松前城を完成させました。


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安政5年における松前城下 (岡山市 多田伊之輔氏所蔵:松前町史より)


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慶応3年7月の松前福山城 (市立函館図書館所蔵:松前町史より)

→ 復元された「搦手二の門」より QTVRパノラマ映像

平成16年春に搦手(からめて)二の門、天神坂門および城の周囲に構えられていた台場の一部が復元され、「搦手二の門」の塀には鉄砲狭間(てっぽう-ざま)が並んでいます。

帯曲輪 (おび-ぐるわ)には七門の大砲が据えられた一番から七番の台場があります。
津軽海峡に近づく外国船を見張ることが松前城の役目なのです。

天神坂門から搦手二の門に至る景観は、明治以降破壊されていた石垣を発掘調査で地中に残存している部分を検出し、忠実に石垣を復元、その上に門や塀を復元している。

また馬坂口は松前城の搦手にある門で、箱館戦争のさい土方歳三率いる旧幕府軍の歩兵隊が攻め上った坂だといわれています。

→ 松前城:天守と本丸御門(表門) QTVRパノラマ映像

復元された天守はコンクリート造りですが、昭和24年に焼失した外観を忠実に復元。
窓は小さく造られ実際より天守を大きく見せ、壁の内側には砲撃に耐えるよう鉄板が貼られています。現在天守の内部には「松前城資料館」があります。

天守の横に残る「本丸御門(表門)」は、「本丸御殿玄関」の一部と共に建築遺構。
本丸御門(表門)は城の門としては珍しい「切り妻屋根」になっており、冬場の凍結や雪の重み、強い潮風への対策から銅板で葺かれている。
塀の裾の部分は石垣で、城の石垣としては珍しい「亀甲積」になっている。


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本丸御門


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福山館本丸玄関(昭和58年まで松城小学校玄関として使用:松前町史より)

また表門の渡櫓(わたりやぐら)のある石垣には、箱館戦争の折に土方歳三らの軍勢が放った大砲の弾痕後が残っている。

外国船の攻撃に備えて築城された松前城。
皮肉にも明治元年新政府軍についた松前城は、旧幕府軍の猛攻を受け落城。翌年進攻した政府軍に奪回されるが二度の戦火にあっている。

また蝦夷地全体の支配の中心となるはずであったが、安政元年(1854年)6月、幕府は対露警備強化の観点から箱館奉行を再設置し、安政2年(1855年)2月23日にはこれまで松前藩領だった箱館周辺8ヶ村と全蝦夷地を幕府直轄としたため、その任務はあらたに建設される五稜郭(亀田役所土塁、また柳野城とも)に移された。

※ 築城時から現存する本丸御門は国の重要文化財、また2001年には北海道遺産(「福山城と寺町」)に選定された。

→ 本丸御門(表門) QTVRパノラマ映像
→ 本丸玄関 QTVRパノラマ映像

松前といえば桜!
北海道が全国に誇る桜の名所でもあります。

雪どけ後、春を待ちかねたように咲き誇る桜は、250種、実に10,000本以上。
染井吉野・大山桜はもとより、松前で生まれた北鵬・静香など、春の松前は桜色一色になります。

そして城を後にして、足早に近くにある「松前藩屋敷」へ。


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松前藩武家屋敷

たまたま松前城築城400年記念「松前の歴史」が目につき購入。(税込:¥1,200)


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概説 松前の歴史

→ 松前藩武家屋敷内 QTVRパノラマ映像
→ 髪結 QTVRパノラマ映像

石田城と並び日本における最後期の旧式城郭である松前城。
戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す元新選組の土方歳三が率いる旧幕府の軍と攻防を繰り広げ、落城させられたことはあまりにも有名で、函館「五稜郭」と共に兼がね訪れるのを楽しみにしていた処でした。

【福山城(松前城)の沿革】
 約550年前の松前には大館と呼ぶ館があったが、後に松前氏を名乗った蠣崎氏がこの地に居住し徳山館と名づけ、松前家5世慶広が慶長5年(約380年前)に現城跡に大規模な館を造り「福山館」と称した。
 
 その後嘉永2年、17世崇広の代に北辺警護の必要上幕府は松前藩に命じて本式の城を築かせ、兵学者市川一学の設計により旧城をこわして新築し、安政元年に完成した。
 東西240m、南北300m、16の門、7つの砲台、4つのやぐらを有するわが国最後の本格的築城であった。

 明治元年箱館戦争のとき、攻防のちまたとなり、明治8年天守と本丸御門を残して大部分はとりこわされた。
 城跡は昭和10年国の史跡に、天守と門は昭和16年国宝に指定されたが昭和24年業火のため三層天守を焼失し、国宝指定が解除された。
 昭和25年本丸御門は国の重要文化財に指定されている。
 昭和35年天守閣、同36年搦手門は鉄筋コンクリートで再建された。
(松前城資料館 福山城の沿革より)

【松前】 アイヌ語地名
 マツ・オマイ
 マト・マイ = 婦人のいるところ
先住民の住む地に、和人の女性も住むという珍しさを表しているといわれています。

松前に一度は訪れてみたいと思い始めたのは、やはり司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」を読んでから。
江戸時代北方の航路を開拓しロシアとの外交交渉でも活躍した北前船船頭「高田屋嘉兵衛」の生涯を描いた小説で、松前城も重要な舞台となります。

【菜の花の沖】
       ・
       ・
松前藩が、北海道という広大な地を支配しながら、山ばかりの松前半島の南端の福山の地を根拠地としているのは、蝦夷に対する自信のなさのあらわれといっていい。
(なぜ松前様はこんなところにいるのか)
       ・
       ・
(小説 「菜の花の沖」より)

真の国際人とはどうあるべきか?
長編ですが一読をお勧めします。



雨後晴れ11:20 気温/22℃ (.all images:biei.info)

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