美瑛町の戦争史跡

2009年 : アイヌ語[地名], パノラマロード, パノラマ[道内], 北のガーデニング, 宿根草(多年草), 美瑛町 No Comments »

雪解け後、木々の新緑が芽吹く前の寒々としたびえいの丘は何も覆い隠すものが無く実によく見通しが利きます。
三愛の丘からは少し離れた小高い丘の上(橋立山)に、夏場茂みに隠れて姿を見ることができない監的壕(かんてきごう)もこの時期はすぐに確認ができます。

ふと監的壕を見て。
そうだ以前から撮っておきながら繋ぎ合わせていなかった写真がある。
この機にいままでバラバラにご紹介をしていた美瑛町の戦争史跡のパノラマ写真をまとめてみました。

美瑛町史や隠れたる名勝地(美瑛探求会)で美瑛の戦争史跡として記録が残されているのは、
① 旧陸軍演習場廠舎(しょうしゃ)門柱 *西町2丁目 美瑛小学校グラウンド横
② 西町兵舎 *西町3~4丁目(個人所有)
③ 監的壕(かんてきごう):トーチカ *福富瑛進(個人の所有地)
④ 陸軍水道跡 *美瑛町立美馬牛小学校裏

の4カ所となっています。


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軍事:美瑛町百年史より

そこでまず美瑛町史より、町最初の入地者から陸軍演習地が設けられた頃までの歴史を簡単に振り返ります。

【美瑛初の入地から演習場設置の頃までの概略】
美瑛に最初の鍬を入れた入地者の祖は兵庫県人の小林直三郎。
当時雇い人3人を引き連れて、明治27年9月15日 神楽18号から辺別川を渡り、辺別原野(現在の旭)に入地。

その後移住者も年々増加し土地開発も進んでいった。
その美瑛開発の大きな原動力となったのは鉄道(上川鉄道)の開通でした。

※上川鉄道
明治31年(1898年)7月に完成をみた 旭川 ~ 岩見沢 間。
また旭川から分岐する十勝線と手塩線はその前年に着工され、明治32年には十勝線は現在の上富良野まで完成された。

この十勝線(現時のJR北海道富良野線)の開通により経済的にも充実し、このことにより行政に於いても自治と独立を要求させ、明治33年(1900年)6月1日、神楽村から分離して美瑛村が誕生。

そして美瑛町に於ける畑作経営の先駆けとなった半澤農場の設立などを経ながら、時代は軍事色へと変わりつつ旭川に陸軍第七師団が設置され、明治40年(1907年)2月14日に陸軍演習場規則が公布、ほどなく美瑛村にも演習地が設けられることになった。

その広さは6,800㌶にもおよび、現在の西町に建てられた兵舎と付属施設は27棟にもなった。丘陵に囲まれた美瑛は演習場としては好適といわれた。
終戦後は開拓地として解放されて兵舎は住宅となり、引き揚げ者、復員軍人などが戦後の混乱期をここで生活した。

備)
【ピイェ】(美瑛川) アイヌ語地名
 Piye = 油ぎった川、濁った川
美瑛川はナイもベツも付けずにただ「ピイエ」と呼んでいたという。
美瑛は、アイヌ語の「ピイェ」より転訛したもので「油ぎった川、濁った川」という意味。

町名の起源で、漢字の「美瑛」は明治33年(1900年)神楽村から分村した時に早崎悦太郎が村名を委任されて命名し、採用された。
その意味は「美しき玉のように」という。

[出典:美瑛町百年史・アイヌ語地名の研究より抜粋]


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旧陸軍演習場廠舎(しょうしゃ)門柱 [美瑛町指定文化財 第2号]

   美瑛町の戦争史跡 フルスクリーンパノラマ
※ 右上地球儀アイコンで地図開閉:地図内青色ボタンでパノラマ切替

ほんの一握りの人間の欲望から引き起こされる戦争によって大勢の人々の命が奪われます。「戦争と平和」それはわれわれ人間に突きつけられた永遠の課題なのです。

庭先では小雨の降る中で約40種ほど地植えにしてあるクリスマスローズが次々に開花しています。


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美しく咲いたクリスマスローズ

もうすでに4月も後半、来週はGWの始まりです。
今年の連休は各交通機関の予約状況も順調のようで、後は天気だけ。

雨13:30 気温/9℃ (.all images:biei.info)

羽衣の滝 [厳冬期]

2009年 : アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 日常の様子, 東川町 No Comments »

今朝は道内枝幸町歌登で-25.5℃を記録するなど冷え込んではいますが、全道的には暖冬傾向のこの冬です。(自宅の外は、午前6時:-10.5℃)

今日は東川町に行く予定があり、以前から寄り道をして厳冬期の羽衣の滝へ向かう計画をしていました。
まずまずの天候に恵まれ、用事を済ませて天人峡温泉へと向かいました。

天人峡トンネルと抜けるとすぐ左手に公共駐車場があります。
ところが到着すると工事が行われており駐車することができません。仕方なくトンネル手前まで引き返し、こちらの駐車場に車を止めトンネル内を歩いて温泉街へ向かいました。

天人峡温泉

 フルスクリーンパノラマ           厳冬期 羽衣の滝スライドショー

シーンと静まりかえった温泉街に、忠別川の流れと、時折走ってくる車の音がやけに大きく響き渡ります。
羽衣の滝へ向かう散策路は、天人峡温泉街の一番端に位置する天人閣の横からスタートします。


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羽衣の滝へ向かいます!

散策路入り口から20mほど靴の足跡がついていましたが、さすがに雪の少ない冬と言えどツボ足ではムリとここまでで引き返したようです。
この日の散策路は通行止めや雪崩に対する注意は出ていません。とは言え原生林の中に入り込む以上は、すべて自己責任で進むことになります。


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積雪が深くなっていました!

四季を通して何度も来ている場所ですが、特に冬場は危険に対して鈍感になってはいけません。散策路を進むにつれ積雪が深くなり、膝まで埋まりながらラッセルして進む箇所も多くありました。
長さ1.3mのストックが挿すところによってはスッポリと沈んでしまいます。
脇には雪に覆われた忠別川の水面が覗いています。

散策路

 フルスクリーンパノラマ

散策路

 フルスクリーンパノラマ            紅葉の頃フルスクリーンパノラマ

途中散策路をふさぐように小山ができています。小さな雪崩の跡です。


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ラッセツをしながら進む

機材を持ちながらラッセルを交代しながら進みます。
間もなく羽衣の滝の見える場所です。

近づくにつれ滝の音が聞こえます。
この冬はまだ完全氷結していないようです。

滝を見るには小さな橋を渡らなければなりません。橋の上に積もった雪をかき分けながら反対側まで進むと冬の羽衣の滝の全貌が現れました。


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厳冬期の羽衣の滝

それにしても滝に着くまでの雪の白さが際だっていました。  
これほど美しい雪景色はここ数年お目にかかったことがありません。

 厳冬期 羽衣の滝スライドショー

羽衣の滝

 フルスクリーンパノラマ            紅葉の頃フルスクリーンパノラマ

   羽衣の滝(Flash) バーチャルツアー

美瑛の丘も素晴らしい。
しかし渓谷沿いの原生林内散策は美瑛の丘以上にわれわれにとっては最高のフィールドなのです。

【羽衣の滝】(アイ・シ・ポプ・ナイ)アイヌ語地名
 ay-si-pop-nay = 細流・が本当に・沸騰する(ような)・川

旭岳の南斜面約6㎞落差1000mの間を流れ落ち、川尻はポロソ(大滝:羽衣の滝 270m)となって忠別川に注ぐ。 (旭川近郊のアイヌ語地名30 より)

晴れ時々曇り11:50 気温/-8℃ (.all images:biei.info)

正面衝突

2008年 : アイヌ語[地名], 日常の様子, 美瑛町, 道内 1 Comment »

午後1時を過ぎても、-4.5℃。今日も真冬日で終わりそうな一日です。


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ツルツル路面

この時期は交通事故が多いと先日書きましたが、事故のなかでも正面衝突が第一位を占めるのがこの年末です。

このところ冬道の話しばかりが続いていますが、昨日も美瑛町で正面衝突による悲惨な死亡事故が発生しました。
事故現場は交通量の少ない見通しの良い直線道路。都会の方々がこの道路をご覧になればなぜこのようなところで事故が?それも吸いつけられるかのように正面衝突が起きるのか?不思議に思われるのも無理からぬ話です。

そして今日も外の路面状況は相変わらずのツルツルアイスバーン。とても人が立ってまともに歩けるような状態ではありません。
しかしスタッドレスタイヤを装着した車はいとも簡単にこの氷の上を走ります。ただあくまでもスピードを控えめにした直線走行での話ですが。

アイスバーン路面に於いては、最新のスタッドレスタイヤといえどその安全性能は万能ではありません。
車やタイヤの性能が良くなり、安全運転への意識が鈍くなることほど危険なことはありません。操るのが人間である以上、安全走行の90%以上はドライバーの心構え次第。
ドライバーの意識の持ち方として「私は大丈夫」と「「安全運転に徹し絶対に事故は起こさない」とでは天地の差があります。

12月は午後3時を過ぎると太陽が当たらなくなり、午後4時前には真っ暗になります。
特に日中プラスに気温が上がる日は危険がいっぱい。
路面状況は日暮れの気温の低下とともにミュー(摩擦係数)が分単位で変化し、どんどん停止距離が長くなってしまいます。
日没前後は、停止距離が数メートル違えば大事故につながります。


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路面ごとの制動距離

ブレーキを踏んでからの完全停止までの距離は、スタッドレスタイヤの場合、時速40km/hでは圧雪路面では21.0m、すべりやすい凍結路面では78.7mと乾燥路面の7.9mと比べて、2.7~10.0倍も長くなります。

冬道でもかまわずにスピードをだし追い抜いてゆく車、相変わらず携帯電話をかけながらのドライバーから標識無視や違法駐車など、毎日のように車で出かけても変わることなく目にする光景。

今も雪煙を上げながらウインカーも出さずに猛スピードで追い越しをかけて行く車が。


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逃げ去るようにスピードを上げ、無謀な追い越しをして行く車!

安全運転をしていても向こうから車が突っ込んできたら、冬道ではどうしようもありません。

マイカーで冬の北海道旅行を計画中のあなたへ

「マイカーで冬の北海道を走りたい」という問い合わせは意外と多いのですが、雪道走行の経験のない方には、はっきり言ってあまりおすすめしておりません。
もし、“東京から長野や新潟のスキー場に行く感覚”で北海道に来られるのであれば、かなりリスキーであるのは事実です。
厳しいようですが、それなりの覚悟は必要です。

北海道内では地元のドライバーは雪道でもかなりのスピードで走ります。
そうした交通の流れにまじって、氷雪に不慣れなドライバーの方が運転するのは本人にとってもかなりのプレッシャーになるはずです。

ただし、今後も北海道と“長い付き合い”をしたい・・・。
いずれ北海道に住むなどという方は、ぜひ冬の北海道を体験してください。
【JAF北海道より】

「地元のドライバーは雪道でもかなりのスピードで走ります。」などと遠回しな言い方ですが、要するに制限速度を守らない。
速度をメータで確認することもなく、一年中スピードに麻痺した感覚で運転しているのが大半の地元ドライバーなのです。

道民ドライバー運転術 [マナーの悪さ極めつき]

雪13:50 気温/-4.5℃ (.all images:biei.info)

暑さが恋しい

2008年 : アイヌ語[地名], 日常の様子, 美瑛町, 道内 No Comments »

一晩中降り続いた雨も夜明けと共に上がり、日中は目まぐるしく雲が流れ気温も思ったほど上がりません。暑さが恋しくなる月曜日となりました。

雨が止むと同時に今度は風が強く吹き荒れ、庭先から見る十勝岳連峰も目まぐるしく姿が見え隠れしています。


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激しく噴煙を上げる今日の十勝岳

それにしても今日の十勝岳は激しく噴煙を上げています。

午後の空き時間に来月訪れる増毛町(ましけ-ちょう)の下調べをしていると、明治40年の増毛港の写真に思わず見入ってしまいました。


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増毛港日本形船碇泊ノ景 北海道大学図書館蔵

増毛港日本形船碇泊ノ景(作者不明)明治40年:北海道大学図書館蔵となっています。

内陸美瑛町に住んでいると、港のある街には何ともいえず魅了されます。

留萌(るもい)本線の終着「増毛駅」
開 駅:大正10年11月5日
起 源:アイヌ語「マシケイ」(カモメの多いところ)から出たと言われているが疑問である。この地はもと「ポロ・モイ」(親なる・湾)といったところであるが、今の浜益にあった運上屋ここに移し、この地を増毛と呼び、もとの場所を浜マシケ即ち浜益と名づけた。    (北海道駅名の起源より)

曇り13:20 気温/17℃ (.all images:biei.info)

上富良野町開拓記念館

2008年 : アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 上富良野町, 建造物, 歴史・伝承 No Comments »

本州では猛暑の続くなか、連休後半から北海道では愚図ついた雨模様の天候となり、今週末まで晴れ間が期待できそうもありません。

今日は先日19日(土):昼の空き時間に訪れた「上富良野町開拓記念館」をご紹介します。
QTVR作成をしている時間が無く今日まで延びてしましまいた。


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上富良野町開拓記念館 館内展示室

 上富良野町開拓記念館は、1897年(明治30年)田中常次郎一行が当地に入植以来、開基100年を記念し、建設された。
 この建物は、1926年(大正15年)の十勝岳噴火災害からの復興を成し遂げた当時の村長、吉田貞次郎の住宅を解体復元したもので大正泥流の被害を受けながらも、現在まで残存した建築物として大変貴重なものである。
(上富良野町教育委員会)

当館は上富良野市街の北側に位置する開拓記念館で、同町には町中心部に同様の資料館として「上富良野町郷土館」があります。

ここ開拓記念館では上富良野村長を勤めた吉田貞次郎、及び十勝岳大噴火に関する資料などを中心に展示されており、大災害となった大正泥流や、現在までの噴火の歴史を記録した貴重なVTRは必見です。

記念館前の広場のラベンダーも綺麗に手入れされており見頃を迎えていました。
十勝岳噴火関連の記録等は逐次ご紹介して行きます。

十勝岳噴火の歴史

紀元前240年頃  グラウンド火口噴火
            火砕流が白金温泉付近まで流下
1670年頃    中央火口丘噴火
           望岳付近まで溶岩が流下
1857年頃    火脈・黒煙(安政4年)
1887年頃    黒煙・降灰(明治20年)
1926年頃    大正泥流発生(大正15年)
          死者・行方不明者144名
1962年頃    中央火口丘南側湯沼付近で噴火(昭和37年)
          死者・行方不明者5名
1988年~89年  小噴火(昭和63年 ~ 平成元年)
           小規模な降灰・泥流発生

月影にて出足す。堅雪の上の歩行はどれども、辷(すべ)りてまろぶこと各数度、四つ過(午前10時頃)「ビビ」の麓に出で、ここにて回頭すれば、山半腹にして火煙燃立ちて黒煙天にさし上るをを見る。
 (「石狩日誌五月二十三日」 松浦武四郎

※ 安政四年(1857年)五月に武四郎が残した十勝岳噴火の様子が記録として残されている最初のもの: 当時は十勝岳は「ビビ」岳と呼んでいたようです。
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【ピエヌプリ】(十勝岳) アイヌ語地名
 piye-nupuri = 美瑛の・山 (松浦武四郎図)

永田地名解によると、「イワウ・ヌプリ」
 iwau-nupuri = 硫黄山
 と書かれており、イワウヌプリの称もあったのであろうか。
 十勝岳のアイヌ時代の名ははっきりとしないものが多い。
(「北海道の地名」 山田 秀三著より)

→ 上富良野町開拓記念館 QTVRパノラマ映像
→ 上富良野町開拓記念館:入り口(受付) QTVRパノラマ映像
→ 上富良野町開拓記念館:館内展示室1 QTVRパノラマ映像
→ 上富良野町開拓記念館:館内展示室2 QTVRパノラマ映像

【上富良野町開拓記念館 ご案内】
◎開館日  : 4月1日 ~ 11月30日 (月曜日、祝祭日:休館)
◎開館時間 : AM9:00 ~ PM4:00
◎入館料  : 無料
◎住所   : 北海道空知郡上富良野町草分
◎電話   : ℡/Fax : (0167)45-6882



     

雨16:10 気温/18℃ (.all images:biei.info)

シダレヤナギ

2008年 : アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 市街地, 書籍・雑誌, 美瑛町 No Comments »

皆さんよくご存知の、セブンスターの木、ケンとメリーの木、哲学の木 ・・・ を始めとし、
美瑛町内にはいろいろな名木があります。

そして私が毎日のように前を通る丸山公園にも。
立ち寄る人も少なくいつも静かな公園内に、悠然と何とも言えない風格のある「シダレヤナギ」があります。


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シダレヤナギ(丸山公園)

調べてみると、直径 119㎝、周囲 373㎝、高さ 約21m とのこと。
正に美瑛町内の名木の一本です。

→ シダレヤナギ [丸山公園]  QTVRパノラマ映像

シダレヤナギのデータを調べているときに前回気づかなかった丸山公園(シャマイクルチセ)の、明治29年9月に撮影された写真が、美瑛町史_第二巻に掲載されていました。


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美瑛町史_第二巻


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丸山公園(シャマイクルチセ)明治29年9月撮影:美瑛町史第二巻より

記載によると、美瑛最古の写真(園田氏提供)とあります。

丸山公園(シャマイクルチセ)
明治30年の五万分の一地図では、シャマイクルチセ(アイヌ名)で美瑛地域を表示してある。 美瑛町史_第二巻より

過ぎ去った出来事や体験も記録という行為が無ければ、まるで何事も無かったかのようにただ消え去って行きます。
これまでどれだけ貴重な体験が知られることなく消え去って行ったか!
計り知れません。

晴れ15:30 気温/24℃ (.all images:biei.info)

シャマイクルチセ [丸山公園]

2008年 : アイヌ民族, アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 市街地, 美瑛町 5 Comments »

JR美瑛駅正面から一直線に延びる丸山通を直進すること約1㎞、交差点左手奥に鬱そうとした茂みの小山が見えてきます。 丸山公園(シャマイクルチセ)です。


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丸山公園

アイヌ名で「シャマイクル(文化神)のチセ(家)」と呼ばれていた美しい小山で、神の居場所として崇高された処がここにある丸山、現在の丸山公園です。

神居古潭(カムイコタン)のように激流の流れる険しい断崖の外にも、平らな土地のなかにポツンと目立つ小高い丘にも神様はいらっしゃるのです。

美瑛町でのアイヌの活動を記録した関連資料はきわめて少なく、このあたりでは仮小屋を立てて狩猟をする程度でコタン(集落)などはなく、上川アイヌの狩猟や薬草などの採取場所として、また十勝アイヌなど他地域との往来の地域であったと考えられ、鮭などもとれないため住居を定める場所としては適さなかったようです。

しかし町内で発見された石器や土器の多くはアイヌ文化より古い縄文時代、そしてさらに古い先土器時代の石器までが見つかっており、はたして美瑛の先住民はいつ頃からいたのか?
大変興味深いところです。

【シャマイクル(文化神)】
アイヌの人たちに生産を教えたとされる神様として尊ばれているカムイ(神)。
そのカムイを祭ったところ(チセ)、聖地がシャマイクルチセ。
開拓時代には、丸山山頂に熊の頭蓋骨が供えられ、アイヌの熊祭りが行われていたらしい。 (郷土資料第2集 「開拓のあしあと」より)

参)日高地方ではオキクルミが最高の文化神とされる。

→ 丸山公園正面 交差点付近 QTVRパノラマ映像


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銀杏並木

公園横には丸山運動公園陸上競技場があり、上記写真は新設されたスポーツセンター側からみた丸山です。

スポーツセンターの駐車場に車を止め、公園内を少しだけ歩いてみることにしました。

風情のある銀杏並木を通り抜け公園内へと。
来月7月24日には、1989年から始まった「那智・美瑛火祭」が行われる処です。

→ 丸山公園 QTVRパノラマ映像

【美瑛町におけるアイヌ民族の往来】
安政四年(1857年)本道奥地調査のため入ってきた松田市太郎、松浦武四郎、両人の日誌によると、美瑛地域ではアイヌ民族が仮小屋を立てる程度で集落などは見られなかったという。

また上川アイヌの居住地を知ることのできる記録「野帳巳第三番」「丁巳日誌」においては入植当時(1898年)ローネナイ・忠別方面に川上イヤンテ一族が住んでいたという。
彼らは十勝アイヌを祖先にもつが、上川アイヌと馴染まずにその周辺に住んでいたという。 その他にはアイヌ民族の定住していた記録はない。
(「美瑛町史」より)


晴れ11:50 気温/24℃ (.all images:biei.info)

ホタル

2008年 : アイヌ語[地名], 日常の様子, 生き物[動物、昆虫 他], 美瑛町 2 Comments »

「ホタル」がいる。

地域の集まりがあり、年配の方より町内を流れる「水沢川にはホタルいる」との話がでました。町内でホタルが見られる!
ホタルが見られるのはだいたい7月の一ヶ月間の間。

その水沢川は、水沢ダムから町内を流れ美瑛川に合流している小川です。

しかし後がありました。
「子どもの頃はいっぱいいたのに。」 現在の話ではなかったのです。

子どもの頃なら、生まれ故郷京都でもホタルを見ることができました。
ホタルというのは非常にデリケートで、澄み切ったきれいな川と自然が必要です。
かつて国内至る所で見られたホタルも、今では河川の汚れや農薬などによりほとんど見ることができなくなってしまいました。

豊かな自然が残るといわれる北海道ですら、沼田町のホタルの里や十勝川温泉の十勝が丘公園など、鑑賞のできるスポットは今やそう多くは無いなかで、幸いなことに美瑛町の隣「旭川市西神楽」では毎年7月下旬に【ホタル祭りin西神楽】が行われています。

その「ホタルがすぐそばで見られる」と期待をしたのですが。


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かつてはホタルが見られたという水沢川

ホタルが見られたという水沢川の現状は。
集まりの帰りに見てみることにしました。

【水沢川】 アイヌ語地名
 ノルアンナイ = 熊の道になっている川?     (「美瑛町百年史」より)

晴れ14:05 気温/22℃ (.all images:biei.info)

ハマナス

2008年 : アイヌ語[地名], 日常の様子, 道内 No Comments »

濃い霧が立ちこめて視界の悪い夜明けとなりましたが、午前6時を過ぎる頃から少しずつ見通しが良くなってきました。


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朝霧と時折吹く強風で植木鉢が倒れています。

6月も下旬、これから庭先が一番華やかになる時期です。
記録的な雪どけの早さに始まった今年は、五月の思いもよらぬ寒の戻りの影響で、花々のその後の開花や結実に大きな障害が出ました。


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花々が咲き出した庭先

しかしその中でも、北海道の花(道花)「ハマナス」は強健でした。
今、庭先で次々と開花を始めました。(八重咲き、白花、赤花など多品種です。)

以前は道内の至る所の浜で群生したいたというハマナス。
バラやクレマチスのような豪華さなど全くないその清楚な花は、浜風に打たれてもへこたれずいたって丈夫なのです。

ほとんど1日花と云っていいほど花期の短い花ですが、その後ミニトマトのような実がなるのがとても楽しみでもあります。
もともと食用で、アイヌ語ではマウ・ニが「ハマナスの実・木」で、マウはハマナスの実のことです。

道内には馬追(まおい)という処がありますが(北海道夕張郡長沼町馬追)、以前“ながぬま温泉”に行ったときに「馬追の名水」で点てたコーヒーがとても美味しかったことを思い出しました。道の駅マオイの丘公園の近くです。

【マオイ】(マウ・オ・イ) アイヌ語地名
 mau-o-i = ハマナスの実・多い・処
 maw-ni = ハマナスの木
 (「地名アイヌ語小辞典」 知里真志保著より)

晴れ時々曇り13:20 気温/21℃ (.all images:biei.info)

美瑛町俵真布

2008年 : アイヌ語[地名], 日常の様子, 美瑛町 4 Comments »

用事で、久しぶりに朗根内(ろうねない)経由で俵真布(たわらまっぷ)へ出かけました。
今日は暑くもなく比較的爽やかな火曜日です。


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朗根内から俵真布へ

用件を済ませて、美瑛町立俵真布小中学校前で車を止めました。


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俵真布 美瑛の学び舎(美瑛町立俵真布小学校跡の再利用)

俵真布小学校は、開校以来90年の歴史を誇る小学校でしたが、地域の人口減少には勝てず、平成15年3月に閉校となりました。
初めて見たときには、リゾート施設かと見間違えるほどの造りで、とても小学校とは思えなかったものです。

閉校に伴い地域の活力低下が心配されていましたが、町ではその後の利用方法を公募し、現在は【俵真布 美瑛の学び舎】として、滞在型旅行者の体験学習施設として利用されています。

写真を撮り同じ道を引き返そうとしたのですが、美瑛の学び舎近くの脇道からダートに入り、道道543号経由で中宇莫別(なかうばくべつ)に出ることにしました。


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ダートを抜けると道道543号:美瑛町立宇莫別小学校へ出ます。

このあたりは辺別川、宇莫別川から多くの枝川が流れていて(その枝川から更に枝川が流れている処もあります)、地図上では枝川それぞれに名前が付けられていますが、現地で川名の表示してあるのはあまり見たことはありません。
もちろん表示のしていな処を通っているだけなのかも知れませんが。

【ラウネナイ】(朗根内) アイヌ語地名
 raune-nai = 深い・川
 そこを流れているラウネナイという小川の名から来たものらしい。
 (「旭川市史地名解」より)

 「北海道の地名」 山田秀三著によると:
 諸地にラウネナイがあり、ラウネは深い川と訳されてきたが、行ってみると
 ほとんどが水の深い川でない。
 ラウネは「低い処である」ぐらいの意味なのではないかと思って来た。

【ハンケシュムケタロマプ】
 【ヘンケシュムケタロマプ】(俵真布) アイヌ語地名

 パンケ・シュンク・ニタイ・オロ・オマプ
 panke-sunku-nitay-or-omap = しも手の・えぞまつ・林・の中・にある川

 ペンケ・シュンク・ニタイ・オロ・オマプ
 penke-sunku-nitay-or-omap = かみ手の・えぞまつ・林・の中・にある川

 ・松浦日誌は「シュンク」タロマッフと記しているから「えぞまつ」が関係するとみて
 誤りがないであろう。
 そしてこれを正しく云えば
 sunku-nitay-or-oma-p で、ハイフンを外せば sunkunitayoromap となる。

 現地名の「タワラマップ」は、主語のえぞまつを省略し、林の中にあるもの(川)
 即ちタヨロマプだけをとりあげて、これに音の似た「俵真布」という漢字を
 当てたものと思われる。
 (「旭川市近郊のアイヌ語地名 30」 由良 勇著より)

 また、「霧深い沢の奥」との見解もあります。

【ウパクペッ】(宇莫別川) アイヌ語地名
 u-pak-pet = 相・匹敵する・川
 ベベツ川の左へ上がっていく川に匹敵するくらいの川。
 (「旭川市史地名解」より)

 【ウパク・ペッ】 
 upak-pet = どちらも同じくらい・の川
 (「旭川市近郊のアイヌ語地名 30」 由良 勇著より)

晴れ15:10 気温/20℃ (.all images:biei.info)

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