坂の上の雲

2009年 : 日常の様子, 映画・ビデオ・TV, 書籍・雑誌, 4 Comments »

元禄15年12月14日(1703年1月30日)夜、江戸本所松坂町の吉良義央(きらよしなか)邸に赤穂義士が討ち入り、主君の仇を報いた日。
今日は朝から小雪の降るドンヨリとした曇り空。

ところで、昨夜の「坂の上の雲」 今回も見応えがありました。
個人的にいつも文章のうまさに脱帽するのは、夏目漱石山崎豊子、そして司馬遼太郎。 その司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」がTVドラマで先月から始まり、昨日は第三回目でした。

以前から何度も大河ドラマ化の企画がありながら、映像化するにはあまりにも難しいと延び延びになっていた素材でしたが、近年のコンピューター画像処理技術(VFX、CG)の発展が遂に制作を可能としました。
それも全13回を3年がかりで放映するという長丁場。

【坂の上の雲】 全13話 放送期間
*2009年秋:(全5回)
第1回 「少年の国」 11月29日(日)
第2回 「青雲」   12月 6日(日)
第3回 「国家鳴動」 12月13日(日)
第4回 「日清開戦」 12月20日(日)
第5回 「留学生」  12月27日(日)

*2010年秋(予定):(全4回)
*2011年秋(予定):(全4回

興味半分で見始めたドラマも今では次回が待ち遠しい。NHKも力が入っています。その分、今までにないお金もかかっているでしょう。

昨日の第三回では伊藤博文やわれわれが教科書でしか教わっていない人物が続々と登場してきます。
そして平成になった今の世でも、明治から昭和にかけての指導者たちの戦争責任や功罪が未だに議論の場にあがり続けています。

近所や会社、社会のつき合いもそうですが、好きでケンカをするものなどいません。たかが些細なケンカであっても爆発するまでの心の葛藤は計り知れないものです。
それが国家を背負ったトップなら尚更で、それぞれの人物が決断を下す過程をどのようにNHKが映像で描きだすのか、また配役人がそれをどのような演技力で見せてくれるのか、本当に最終話まで楽しみです。

小説など、書籍におけるタイトルは大変重要な部分で、その題名一つで「売れるか、売れない」かが、ほぼ決まると言います。

「坂の上の雲」
すばらしいタイトル。そのタイトルをつけた司馬遼太郎。 ・・・・ただただ脱帽。

「坂の上の雲」を読まれた方ならご存じの、著者あとがきに:
「秋山兄弟が特別な才能をもった特別な人間なのか?
二人がいなくとも、いなければいないでこの時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがいない。」と。
まさに時代の流れとはそのような人間だけでは語ることのできない、人間の力ではどうしょうもない、われわれを操る途轍もない何かがあるようです。

【坂の上の雲】
司馬遼太郎が10年の歳月をかけ、明治という時代に立ち向かった青春群像を渾身の力で書き上げた壮大な長篇歴史小説。
発行部数は2,000万部を超え、多くの日本人の心を動かした司馬遼太郎の代表作で、1968年(昭和43年)から1972年(昭和47年)にかけて『産経新聞』に連載された。

本作品は司馬の著作の中でも特に議論を呼んだことで有名で、明治という時代そのものに対する高評価、日露戦争を一種の自衛戦争であると捉えた司馬の史観、旅順攻撃を担当した乃木希典およびその配下の参謀たちが能力的に劣っていたために多大な犠牲を強いることになったとする筆者の見解については、未だに賛否両論がある。
また藤岡信勝はこの作品をきっかけとして自由主義史観を標榜するようになった。
歴史書・伝記の「読書アンケート」で一貫してトップであった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

久しぶりに平成12年に買った「挿絵で読む 坂の上の雲 をゆく」を取り出しました。


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挿絵で読む「坂の上の雲」をゆく

日本放送出版協会の「坂の上の雲 第1部―NHKスペシャルドラマ・ガイド」とは違った視点で作品の登場場所などが、写真や地図で紹介されており、TVドラマと平行して読まれれば楽しさも倍増するはずです。

     

曇り11:40 気温/-4℃ (.all images:biei.info)

不屈の者たちへ

2009年 : 日常の様子, 書籍・雑誌, 2 Comments »

人生は死ぬことじゃない。
生きることだ。

自分自身を
生かさなくてはいけない。

たったひとりしかない自分を、
たった一度しかない一生を、
ほんとうに生かさなかったら、

人間、
生まれてきたかいが
ないじゃないか。

                            山本有三路傍の石」より

今日も突然雨が降ったり止んだりと、不安定な天候の週末です。

仕事の段取りを終えて一休み。
先日19日(水)の午前2時00分 ~ NHK総合テレビで再放送をされた「不屈の者たちへ」の録画を見ることにしました。
会社を倒産させ、全てを失った方が再起をかけて飛び込んだのは、全く経験のないタクシードライバーの世界(当時56歳)。それから10年、ついにトップクラスの売り上げを達成するまでの奇跡と現在の姿を追った番組でした。

倒産と同時に手のひらを返すように「罵声」を浴びせかけてくる多くの業者。
その中にあっても「頑張ってください!」と、周りから差し入れをしてくれる方もいる。

ご本人の不屈の魂 + 何よりも夫を信じそれを支える奥さんの姿勢! 素晴らしかった。
タクシーの客待ちの間に、図書館で借りた一冊の文庫本を読んでいて、上記「路傍の石」の一文と出会います。

私も無性にもう一度読んでみたくなり、昔買った「路傍の石」を探し始めたのですが、どこにしまい込んだのか分からない。
まだ会社員の頃、栃木県へ行った折に宿泊先のホテルにこの一文が掲げられていたのを思い出します。


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空は秋!

われわれ夫婦も見知らぬ土地へ移り住み、360度世界の違う職業へ飛び込んだものの。
「辛い」ことのほうがはるかに多いのがこの世の中です。
そして時として崩れそうな日々の支えとなっているのは、夫婦お互いの暗黙の存在であることは明白です。

久しぶりに、いいおやじがしっかりしろと「尻を引っ叩いてくれた!」番組でした。感謝。

子どもの生き方に大きな影響を与える先生を始めとする「大人たちの存在」も浮き彫りにされている路傍の石。
一人一人の大人が読み返し、親として・大人としてどうあるべきかを問い直してみては。

     

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終戦

2009年 : 北のガーデニング, 宿根草(多年草), 日常の様子, 書籍・雑誌, No Comments »

昨日(15日)は64回目の終戦の日でした。
テレビではどのチャンネルに切り替えてもこの土日は関連放送が流れ、NHKhiでは終日特番が組まれていました。

亡くなった父もバリバリの海軍出で、厳しかったことが今更のように思い出され、亡くなるまで姿勢を崩すことなくきちんと正座をして座っていた姿などは、筋金入りの思えば「かっこいい」姿でもありました。
昭和天皇が国民に終戦を告げる玉音放送が行なわれた8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とし、一般には「終戦記念日」や「終戦の日」と称し、政府主催の全国戦歿者追悼式や、政治団体、NPO等による平和集会が開かれていますが、どうも個人的に終戦記念日という呼称はしっくりときません。いつも終戦の日を使っています。

われわれの年齢でこの時期に思い出されるのはやはり、1985年8月12日:群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落したJAL123便墜落の大惨事です。
520名の死者を出した 日本航空(JAL)ジャンボ機“ボーイング747SR-46”。
(乗客・乗員:524名、内負傷者/生存者:4名)
その中から奇跡的に助け出された少女を吊り上げる自衛隊ヘリの映像は全国に流され皆が歓声をあげたものでした。

この大惨事を取り上げたテレビドラマ「クライマーズ・ハイ」がCSでこの時期に合わせて再放送されたのですが、残念ながら見る時間がありませんでした。(NHKにて、2005年12月10日と17日に放送された。)
後に映画にもなっています。この映画版も民法で放送されましたが、これも見逃しました。

空き時間に久しぶりに書庫?の整理をしていると、中から長い間ずっと眠っていた「資料・ベトナム戦争」の上下巻が出てきました。この本は思い出深く、もう40年も前に買った書籍です。
このところワイドショーなどで毎日のように報道されている「覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された・・・・・」事件。
実は始めて「覚せい剤」や「枯れ葉剤」なる言葉を知ったのは、このベトナム戦争の報道からでした。


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資料・ベトナム戦争:もう購入して40年になります。

学生時代の私にとっては、一巻1,500円と言う値段はそうそう手の出せる価格ではなく、何度も本屋で立ち読みをしていて嫌な顔をされていたのが、思い出の一つとして今も残っています。
そして年末のアルバイト収入で無事購入。書店にやっと顔向けができました。
※ 当時(昭和45年)の東京下町の下宿先での家賃は 4.5畳一間 : 月/7,000円。

今日も引き続きお盆の帰省ラッシュによる渋滞が続いているようですが、今庭先では白花たちが競い合って花を咲かせています。
白い花々は実に美しく、ホワイトガーデンのようになっています。


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庭先のカサブランカ

特に窓際にある「カサブランカ」などは花と言うより、もうその姿は低木です。
開けはなった窓からはいろいろな香りが混ざり合って部屋の中に流れ込んできます。


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カサブランカ


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擬宝珠:白が美しい!


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アジサイ

そのなか、キク科のルリタマアザミ(瑠璃玉薊)が開花を始めました。
清楚なブルーが白花ととてもよく合います。


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ルリタマアザミ(瑠璃玉薊)

花を見に庭先へ。
園芸療法ならぬ、私のほんの15分程の息抜きです。
晴れ時々曇り11:40 気温/24℃ (.all images:biei.info)

2008年 : 国内, 書籍・雑誌, 自然 [現象、温暖化 他] No Comments »

8月も明日31日を残すだけとなりました。
今日も明け方に雨が上がり蒸し暑い日となっています。
忙しさにかまけてブログの更新も怠りがちです。

今週太平洋側に大きな被害をもたらしている大雨は、今現在まだ警戒が必要です。
小さい頃、雷の大きな音に震えていると、世の中の怖いものの代表として母親が「地震・雷・火事・親父」とよく言っていました。
※ 親父(おやじ)=台風のこと。「大山風(おおやまじ)」

昨日・今日とTVでは大雨で被災された方々の速報が流れ続け、大雨災害の恐ろしさはもちろんのこと、それ以上に今まで通りの生活に戻るまでのこれからのご苦労がいかばかりか。「元通りに!」 災害が起こる度に誰もが胸を締め付けられる思いです。

皮肉にも明後日の9月1日は防災の日(ぼうさいのひ)
1923年9月1日の関東大震災に因んで制定された記念日です。

美瑛町・上富良野町でも毎年2月頃に「十勝岳の噴火に係る総合防災訓練」が行われていますが、われわれ夫婦のように阪神淡路大震災を体験したものは、町内や近隣の方々の防災意識の低さには驚くことばかりです。
「噴火はあっても、この辺は地震などまず来ない」と。
「まさかそんなことはあり得ない」と、クヨクヨしないで物事を楽観的に捉え人生を楽しく送るのも極意。

万が一「地震が起きたらどうしますか?」との問いに:
「外に飛び出す」と笑って答える方ばかりで、「まず火を消す」と言われる方はほとんどいません。

たとえ自分が死ぬまでの間に災害に見舞われなくとも、「もしも災害が起きたら・・・」と日頃から用心することは無意味なことではありません。
「備えあれば患えなし」
いざというときの混乱を少しでも静めることができるように。
内閣府 防災情報のページ

阪神淡路大震災は未曾有の地震でした。
そしてその大地震の記憶と共に杉山平一氏の詩がいつまでも心に残ります。


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町 「詩集阪神淡路大震災」第2集

【町】

歪んだり

潰れたり

ぐちゃぐちゃになったり

これは水に映った町

ではないのか

風よ 吹くな

ひとよ、石を投げるな

水面が端正にしずまるまで

(平成7年12月「詩集阪神淡路大震災」第2集)

曇り14:20 気温/26℃ (.all images:biei.info)

えぞキリシタン

2008年 : 書籍・雑誌, , 道内 2 Comments »


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えぞキリシタン [永田富智著]

福島町に立ち寄った際に遠くからでも見えるのかなと期待をしていた大千軒岳ですが、山は朝からの雨で靄に包まれまったく見ることはできません。

大千軒岳は道南の霊場として知られる、松前郡の松前町と福島町、そして桧山郡上ノ国町との境界にある標高1,071.6mの山です。

その千軒金山の大惨劇。
日本のキリシタンにとって蝦夷(北海道)は逃亡の地の果てでした。

そのことを知った書籍がこの永田富智(ながた・とみさと)著「えぞキリシタン」です。
砂金堀に紛れてエゾ地へやってきた数多くのキリシタン。彼らの史実を克明に調査・研究された同氏ライフワークの集大成で「えぞキリシタン」研究に於ける日本を代表する著作となりました。

永田富智氏の著作は、アイヌ語地名の山田秀三氏とともに興味深く、地図を広げて読むのが空き時間の楽しみでもあります。
好きなものに巡り合え打ち込み続けたご本人の努力はもちろんのこと、家族の理解、そしてその好きで好きでたまらなく続けてきた努力が質の高い調査・研究となり、また質の高い周りの方々との良き巡り合いを生み輪を広げて行きます。

巡り合いが、プラスに作用するかマイナスに作用するかは日頃からの自分自身の行動次第。いい加減な日々を送っていれば、似かよった者同士しか集まらないし、集まりもしない。

現在は絶版になっていますので、古書店で。
一読をお勧めします。
雨のち晴れ09:30 気温/20℃ (.all images:biei.info)

松前城 [北の小京都]

2008年 : パノラマ[道内], 北海道遺産, 建造物, , 書籍・雑誌, 松前町 No Comments »

28日(月)から2泊3日で道南:渡島・檜山支庁へ出かけました。
函館松前江差を駆け足で廻った様子を順不同で紹介をして行きます。

昨日函館へ向け出発。
しかし函館に着く頃にはどしゃ降りの雨となりました。
道北は晴れていても、道南は毎日雨続きの空模様で改めて北海道の広さを実感します。

一夜明け、今日29日は函館から国道228号を松前町へ向け車を走らせます。
(午前7時40分出発)。
松前の手前に北海道最南端の地「白神岬」があります。


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強風の吹き荒れる白神岬

岬で写真を撮るため車のドアを開けようとするのですが強風で押し戻され、車のドアが開かないほどの強い風が吹き抜けています。
また北海道の海沿いを走っていていつも感じるのは、気温や風などの影響か、本州に比べて磯の匂いが弱いように思えます。

午前10時40分:松前町役場に到着。
役場内で資料を頂き、すぐ裏手の「松前城」へ向かいました。
城は町のシンボルであり、松前公園は北海道が誇る桜の名所でもあります。


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松前町役場

北海道で唯一の藩である松前藩は江戸幕府誕生からわずか3年後に成立、松前藩が蝦夷地の交易権を支配し、多くの北前船が行き来し繁栄しました。
そのため松前は北の小京都ともいわれ、日本の歴史のなかでも異彩をはなつ最北の古都なのです。

【松前城(福山城)】
日本海から太平洋に抜ける「津軽海峡」。
この入り口に位置する松前に海を向かって睨みを効かすように建つ城、それが渡島管内松前町にある白亜の城「松前城(福山城/ふくやまじょう)」です。
道内でも福山城というより松前城のほうがとおりがいいようです。


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復元された「搦手二の門」より

戦国時代、豊臣秀吉によって蝦夷島王と認められた蠣崎義広(かきざきよしひろ)は、徳川家康より松前の名乗りを許され、現在の松前城の地:福山に館を築きました。
以来松前氏は代々福山を拠点にして幕末まで13代に渡って蝦夷地支配を行います。

嘉永2年(1849年)幕府は北方警備強化(ロシアの南下に備え)のため松前崇広に新しい城を築かせます。
崇広は兵学者高崎藩市川一学を招き五年の歳月をかけて、日本古来の城の形を継承しつつも西洋の大砲技術を取り入れた松前城を完成させました。


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安政5年における松前城下 (岡山市 多田伊之輔氏所蔵:松前町史より)


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慶応3年7月の松前福山城 (市立函館図書館所蔵:松前町史より)

→ 復元された「搦手二の門」より QTVRパノラマ映像

平成16年春に搦手(からめて)二の門、天神坂門および城の周囲に構えられていた台場の一部が復元され、「搦手二の門」の塀には鉄砲狭間(てっぽう-ざま)が並んでいます。

帯曲輪 (おび-ぐるわ)には七門の大砲が据えられた一番から七番の台場があります。
津軽海峡に近づく外国船を見張ることが松前城の役目なのです。

天神坂門から搦手二の門に至る景観は、明治以降破壊されていた石垣を発掘調査で地中に残存している部分を検出し、忠実に石垣を復元、その上に門や塀を復元している。

また馬坂口は松前城の搦手にある門で、箱館戦争のさい土方歳三率いる旧幕府軍の歩兵隊が攻め上った坂だといわれています。

→ 松前城:天守と本丸御門(表門) QTVRパノラマ映像

復元された天守はコンクリート造りですが、昭和24年に焼失した外観を忠実に復元。
窓は小さく造られ実際より天守を大きく見せ、壁の内側には砲撃に耐えるよう鉄板が貼られています。現在天守の内部には「松前城資料館」があります。

天守の横に残る「本丸御門(表門)」は、「本丸御殿玄関」の一部と共に建築遺構。
本丸御門(表門)は城の門としては珍しい「切り妻屋根」になっており、冬場の凍結や雪の重み、強い潮風への対策から銅板で葺かれている。
塀の裾の部分は石垣で、城の石垣としては珍しい「亀甲積」になっている。


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本丸御門


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福山館本丸玄関(昭和58年まで松城小学校玄関として使用:松前町史より)

また表門の渡櫓(わたりやぐら)のある石垣には、箱館戦争の折に土方歳三らの軍勢が放った大砲の弾痕後が残っている。

外国船の攻撃に備えて築城された松前城。
皮肉にも明治元年新政府軍についた松前城は、旧幕府軍の猛攻を受け落城。翌年進攻した政府軍に奪回されるが二度の戦火にあっている。

また蝦夷地全体の支配の中心となるはずであったが、安政元年(1854年)6月、幕府は対露警備強化の観点から箱館奉行を再設置し、安政2年(1855年)2月23日にはこれまで松前藩領だった箱館周辺8ヶ村と全蝦夷地を幕府直轄としたため、その任務はあらたに建設される五稜郭(亀田役所土塁、また柳野城とも)に移された。

※ 築城時から現存する本丸御門は国の重要文化財、また2001年には北海道遺産(「福山城と寺町」)に選定された。

→ 本丸御門(表門) QTVRパノラマ映像
→ 本丸玄関 QTVRパノラマ映像

松前といえば桜!
北海道が全国に誇る桜の名所でもあります。

雪どけ後、春を待ちかねたように咲き誇る桜は、250種、実に10,000本以上。
染井吉野・大山桜はもとより、松前で生まれた北鵬・静香など、春の松前は桜色一色になります。

そして城を後にして、足早に近くにある「松前藩屋敷」へ。


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松前藩武家屋敷

たまたま松前城築城400年記念「松前の歴史」が目につき購入。(税込:¥1,200)


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概説 松前の歴史

→ 松前藩武家屋敷内 QTVRパノラマ映像
→ 髪結 QTVRパノラマ映像

石田城と並び日本における最後期の旧式城郭である松前城。
戊辰戦争の最末期に蝦夷が島(北海道)の独立を目指す元新選組の土方歳三が率いる旧幕府の軍と攻防を繰り広げ、落城させられたことはあまりにも有名で、函館「五稜郭」と共に兼がね訪れるのを楽しみにしていた処でした。

【福山城(松前城)の沿革】
 約550年前の松前には大館と呼ぶ館があったが、後に松前氏を名乗った蠣崎氏がこの地に居住し徳山館と名づけ、松前家5世慶広が慶長5年(約380年前)に現城跡に大規模な館を造り「福山館」と称した。
 
 その後嘉永2年、17世崇広の代に北辺警護の必要上幕府は松前藩に命じて本式の城を築かせ、兵学者市川一学の設計により旧城をこわして新築し、安政元年に完成した。
 東西240m、南北300m、16の門、7つの砲台、4つのやぐらを有するわが国最後の本格的築城であった。

 明治元年箱館戦争のとき、攻防のちまたとなり、明治8年天守と本丸御門を残して大部分はとりこわされた。
 城跡は昭和10年国の史跡に、天守と門は昭和16年国宝に指定されたが昭和24年業火のため三層天守を焼失し、国宝指定が解除された。
 昭和25年本丸御門は国の重要文化財に指定されている。
 昭和35年天守閣、同36年搦手門は鉄筋コンクリートで再建された。
(松前城資料館 福山城の沿革より)

【松前】 アイヌ語地名
 マツ・オマイ
 マト・マイ = 婦人のいるところ
先住民の住む地に、和人の女性も住むという珍しさを表しているといわれています。

松前に一度は訪れてみたいと思い始めたのは、やはり司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」を読んでから。
江戸時代北方の航路を開拓しロシアとの外交交渉でも活躍した北前船船頭「高田屋嘉兵衛」の生涯を描いた小説で、松前城も重要な舞台となります。

【菜の花の沖】
       ・
       ・
松前藩が、北海道という広大な地を支配しながら、山ばかりの松前半島の南端の福山の地を根拠地としているのは、蝦夷に対する自信のなさのあらわれといっていい。
(なぜ松前様はこんなところにいるのか)
       ・
       ・
(小説 「菜の花の沖」より)

真の国際人とはどうあるべきか?
長編ですが一読をお勧めします。



雨後晴れ11:20 気温/22℃ (.all images:biei.info)

シダレヤナギ

2008年 : アイヌ語[地名], パノラマ[道内], 市街地, 書籍・雑誌, 美瑛町 No Comments »

皆さんよくご存知の、セブンスターの木、ケンとメリーの木、哲学の木 ・・・ を始めとし、
美瑛町内にはいろいろな名木があります。

そして私が毎日のように前を通る丸山公園にも。
立ち寄る人も少なくいつも静かな公園内に、悠然と何とも言えない風格のある「シダレヤナギ」があります。


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シダレヤナギ(丸山公園)

調べてみると、直径 119㎝、周囲 373㎝、高さ 約21m とのこと。
正に美瑛町内の名木の一本です。

→ シダレヤナギ [丸山公園]  QTVRパノラマ映像

シダレヤナギのデータを調べているときに前回気づかなかった丸山公園(シャマイクルチセ)の、明治29年9月に撮影された写真が、美瑛町史_第二巻に掲載されていました。


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美瑛町史_第二巻


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丸山公園(シャマイクルチセ)明治29年9月撮影:美瑛町史第二巻より

記載によると、美瑛最古の写真(園田氏提供)とあります。

丸山公園(シャマイクルチセ)
明治30年の五万分の一地図では、シャマイクルチセ(アイヌ名)で美瑛地域を表示してある。 美瑛町史_第二巻より

過ぎ去った出来事や体験も記録という行為が無ければ、まるで何事も無かったかのようにただ消え去って行きます。
これまでどれだけ貴重な体験が知られることなく消え去って行ったか!
計り知れません。

晴れ15:30 気温/24℃ (.all images:biei.info)

アイヌ語地名を歩く

2008年 : アイヌ語[地名], 書籍・雑誌 No Comments »

出先や旅行先で難しい地名を目の当たりにすると、まず読み方が分からない。
そして日本語なのか? それともアイヌ語なのか? はたまた ・・語なのか?

買い物帰りに美瑛町立図書館に立ち寄り、いつもの「アイヌ語地名を歩く」を借りる。


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アイヌ語地名を歩く:山田秀三著

この著作は山田秀三氏のなかでは比較的安く手にはいるのですが、ついつい図書館へ行ってしまいます。本書は1984年(昭和59年)から2年に渡り北海道新聞に連載した随筆を単行本化したものです。

その他、有名なアイヌ語地名の研究:山田秀三著作集を始めとする著作は、中古本でも高くてなかなか買うことができずにいます。

山田秀三氏(1899~1992年)は云うまでもなくアイヌ語地名研究の第一人者です。

金田一京助氏に学問の上での薫陶を受け、知里真志保久保寺逸彦両氏と交友関係を持ち、アイヌ語や古代史に関する深い知見を有していた氏の研究は、既存の文献や地図を徹底的に調べ、その上で現地を確認していくという実証的な研究方法を確立しただけにその研究成果は群を抜いています。

そして何よりも、研究者・学者にありがちな難しい言い回しや言葉がなく、われわれ素人にも読みやすいこと。

そしてその作業の進め方は、上記のように慎重すぎるほど慎重に傍証を固め、地名の由来、周辺のアイヌ語形を持つ地名分布、更に古地図や古文献から地名の発生源や由来などを徹底的に調べ上げ、それを基盤として現地調査に臨み、その現地調査を何よりも重んじました。
そして最終的にアイヌ語地名かどうかを判断されています。

まだ読まれていない方は、巷に溢れるあらゆる地名研究書の中でも、抜きん出た著作の数々をお読みになって見ては。

     

曇り15:10 気温/18℃ (.all images:biei.info)

知里幸恵 [ちりゆきえ]

2008年 : アイヌ民族, パノラマ[道内], 旭川市, 書籍・雑誌 6 Comments »

午前中、旭川市立北門中学校を訪れました。


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旭川市立北門中学校

もちろんお目当ては同校の「知里幸恵資料室」「郷土資料室」の見学です。


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知里幸恵文学碑

校内に入るとすぐ左手に「知里幸恵文学碑」が目につきます。

→ 知里幸恵文学碑 QTVR映像


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知里幸恵  知里むつみ所蔵

1903年(明治36年)、登別に生まれた知里幸恵

幸恵は19年という短い生涯のうち、6才から19才までの約13年間を旭川で過ごしました。
その彼女が旭川で生活していた場所が、現在の
旭川市立北門中学校のあるところ。

このことを後世に伝えるために、学校関係者はもとより地域の方々の協力のもと、1990年(平成2年)には校舎前庭に「知里幸恵文学碑」が建立され、1997年(平成9年)には校内の一角に「郷土資料室」が、そして2007年(平成19年)に「知里幸恵資料室」が整備されたとのことです。

予てから楽しみにしていただけに、どの写真や資料を見てもしばし釘付けになります。

→ 知里幸恵資料室 QTVR映像
→ 知里幸恵資料室 QTVR映像

北海道に移り住むまでは、アイヌ関連の本などあまり読まなかったわれわれ夫婦が移住後に出会った一冊の文庫本。
タイトルは「アイヌ神謡集」:もう12年も前のことです。

この神謡集は1922年(大正11年)3月、19歳の幸恵が母語をローマ字で、その翻訳を優麗な日本語で綴り残したのもです。

岩波文庫本は見開き左綴じという装丁で、左ページに母語のローマ字表記、右に日本語訳が掲載されています。
また編訳者の知里幸恵という響きの良い名前が非常にさわやかで新鮮な気分にさせてくれました。

「銀の滴(しずく)降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに。」という歌を私は歌いながら流(ながれ)に沿って下り 人間の村の上を通りながら下を眺めると昔の貧乏人が今お金持になっていて 昔のお金持が今の貧乏人になっている様です。
                       ・
                       ・

あまりにも有名なアイヌ神謡集冒頭の物語「梟の神の自ら歌った謡」の書き出しです。

しかしそれ以上に感動を呼ばずにおかないのは、その「序」。

「その昔この広い北海道は、私たちの先祖の自由の天地でありました。
天真爛漫な稚児の様に、美しい大自然に抱擁されてのんびりと楽しく生活していた彼等は、真に自然の寵児、なんという幸福な人たちであったでしょう。・・・・・」

と、幸恵の怒りと切々と祈るがごとく綴ったその言葉で始まる序文は身震いがします。

※ アイヌ神謡集「序」
※ アイヌ神謡集

このアイヌ神謡集が生まれる転機となったのが、15歳の時に出会った金田一京助

1918年(大正7年)に旭川郊外の近文(ちかぶみ)部落を訪れた金田一京助を泊めた縁から、自ら書き始めた「アイヌ神謡集」の出版の話が進み、1922(大正11)年5月に上京し、金田一家に寄寓しながら校正作業にあたるが、その年9月、心臓病で急死。
享年19歳3ヶ月という若さでした。

また自分の思いを胸が張り裂けんばかりに綴った幸恵の日記。
編集者から、「言わなければ知られずに済むのに、何でアイヌなんて言うのか」との言葉に対して憤慨し反発しています。

「(前略)同じ人ではないか。
私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと湿ひの無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知ってゐる。(後略)」

知里幸恵に関しては多くの学者や評論家など専門家の方々が研究され論表されていますが、我々のようなずぶの素人が惹きつけられる訳は。

自分さえよければが大手を振り、家族ですら崩壊しつつある昨今に於いて、命がけで守るものを私も・あなたもはたして持っているだろうか?
年若きアイヌ女性から学ぶべきことが山積しています。

北海道に移り住み遅ればせながら手にした一冊の文庫本。

その美しい日本語の中に潜んでいる本質や意味を推しはかることができてこそ、今なお続く「アイヌ民族」にかかわる諸問題と向き合うことができるのではないでしょうか。

※ 日記「七月十二日 晴、終日涼」


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知里幸恵

【知里幸恵の略歴】:1903年(明治36年) – 1922年(大正11年)
◆大正時代のアイヌ文化伝承者。北海道幌別生れ。旭川区立女子職業学校卒業。
  死後、1923年(大正12年) 「アイヌ神謡集」出版。
  北海道幌別のアイヌ村長(コタンコロクル」の家柄。
  知里高吉の長女、母はナミでユーカラの語り手金成(かんなり)マツの妹。
  知里高央(たかお)・知里真志保(ましほ)の姉。
  金田一京助の家に寄寓しているときに急死。

1903年 登別に生まれる。
1907年 弟、高央が誕生。この頃、祖母モナシノウクと2人暮らしを始める。
1909年 弟、真志保(アイヌ言語学者)誕生。
      旭川へ転居し、金成マツと祖母と3人暮らしを始める。
1910年 小学校へ入学するが、9月にはアイヌの児童が集まる小学校が開校し、
      そこに移る。
1917年 旭川区立女子職業学校へ入学。
1918年 金田一京助と出会う。(彼女:15歳の運命の出会い)
1922年 5月、東京の金田一宅に住み始めるが9月に亡くなる。
1923年 没後「アイヌ神謡集」(東京郷土研究社)が出版される。
1975年 東京から登別に改葬される。


(「アイヌ語地名を歩く」 山田秀三著 知里博士との出会いより.image: 北海道新聞社.)


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晩年のマツ(左) 金田一京助(中) 妹ナミ  知里むつみ所蔵

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そして郷土資料室へ。


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「あいぬの話」序 (金田一京助) : 知里幸恵資料室


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活発な活動を続ける北門中学校 郷土史研究部の皆さん

アイヌ民族の女性で長い間教員を務められた荒井和子さんが寄贈されたものをはじめ、
貴重な写真、資料、生活用具などが多数展示してあります。

また資料室では、旭川市文化奨励賞など数々の受賞歴を誇る同校郷土史研究部の皆さんの熱心な活動ぶりも紹介されていました。

この貴重な写真や資料を一目見るために、日本はもとより海外からも見学者が訪れるとのお話でした。素晴らしい時間をありがとうございました。

→ 郷土資料室 QTVR映像
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