「アイヌ! と只一言が何よりの、悔辱となって憤怒に燃ゆ – 言葉本来の意味は久しく忘れられて、ナンたる悔辱の代名詞になってゐることであらう」 *違星北斗 遺稿 コタンより
違星の生きた時代は、「アイヌ」という言葉は、本来の意味から遠くかけ離れ差別用語となっていたが、平成の今、果たして完全に払拭されているだろうか・・・。
各地の集会で小声で耳打ちするように「あの人、アイヌよ ・・・ 」と、未だに時として耳にするその響きからは、程度の差こそあれ不快感を覚える。
小中学校時代に、偏見や差別でつらい思いをしたことがあるだろうか!
それも一時的なものでは無く、教師も含めクラスの大半、いや学校中から来る日の来る日も。
同級生を平気で差別するよな思考は、社会全体の根強い差別感があるからこそ、大人や周りの影響を受け、子供なりの言葉や行動として表れるもので、自らの意思で自然にでるものではない。
いつの時代も、子は大人の行動をよく見ている。
「北海道には歴史ながない?」
是非、一読を!
違星 北斗(いぼし ほくと、男性、1901年(明治34年) – 1929年(昭和4年)1月26日)はアイヌの歌人・社会運動家。
北海道後志支庁余市町に生まれ、肺結核により満27歳(数え29歳)の若さで病死。アイヌ民族三大歌人の一人で「アイヌの石川啄木」と称される。
※ アイヌアイヌ民族三大歌人 :
ふと子どものことを考えていると、親として心に強く訴えかける詩を思い出し、神谷美恵子著作集を本棚から取り出した。
Kahlil Gibran(ハリール・ジブラーン / カリール・ジブラン)詩集「預言者」から、『子どもについて』
佐久間 彪訳も良いのですが、神谷美恵子訳も美しく、特に母親にはズシンと胸に響くのでは。
子どもについて
赤ん坊を抱いたひとりの女が言った。
どうぞ子どもたちの話をして下さい。
それで彼は言った。
あなたがたの子どもたちは
あなたがたのものではない。
彼らは生命(いのち)そのものの
あこがれの息子や娘である。
彼らはあなたがたを通して生まれてくるけれども
あなたがたから生じたものではない、
彼らはあなたがたと共にあるけれども
あなたがたの所有物ではない。
あなたがたは彼らに愛情を与えうるが、
あなたがたの考えを与えることはできない、
なぜなら彼らは自分自身の考えを持っているから。
あなたがたは彼らのからだを宿すことはできるが、
彼らの魂(たましい)を宿すことはできない、
なぜなら彼らの魂は明日の家に住んでおり、
あなたがたはその家を夢にさえ訪れられないから。
あなたがたは彼らのようになろうと務めうるが、
彼らに自分のようにならせようとしてはならない。
なぜなら生命はうしろへ退くことはなく
いつまでも昨日のところに
うろうろ ぐずぐず してはいないのだ。
あなたがたは弓のようなもの、
その弓からあなたがたの子どもたちは
生きた矢のように射られて 前へ放たれる。
射る者は永遠の道の上に的(まと)をみさだめて
力いっぱいあなたがたの身をしなわせ
その矢が速く遠くとび行くように力をつくす。
射る者の手によって
身をしなわせられるのをよろこびなさい。
射る者はとび行く矢を愛するのと同じように
じっとしている弓をも愛しているのだから。 (神谷美恵子訳)
何も言わずもがな。
説明などを必要としない、心に染み入る詩です。
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