JR美瑛駅正面から一直線に延びる丸山通を直進すること約1㎞、交差点左手奥に鬱そうとした茂みの小山が見えてきます。 丸山公園(シャマイクルチセ)です。
アイヌ名で「シャマイクル(文化神)のチセ(家)」と呼ばれていた美しい小山で、神の居場所として崇高された処がここにある丸山、現在の丸山公園です。
神居古潭(カムイコタン)のように激流の流れる険しい断崖の外にも、平らな土地のなかにポツンと目立つ小高い丘にも神様はいらっしゃるのです。
美瑛町でのアイヌの活動を記録した関連資料はきわめて少なく、このあたりでは仮小屋を立てて狩猟をする程度でコタン(集落)などはなく、上川アイヌの狩猟や薬草などの採取場所として、また十勝アイヌなど他地域との往来の地域であったと考えられ、鮭などもとれないため住居を定める場所としては適さなかったようです。
しかし町内で発見された石器や土器の多くはアイヌ文化より古い縄文時代、そしてさらに古い先土器時代の石器までが見つかっており、はたして美瑛の先住民はいつ頃からいたのか?
大変興味深いところです。
【シャマイクル(文化神)】
アイヌの人たちに生産を教えたとされる神様として尊ばれているカムイ(神)。
そのカムイを祭ったところ(チセ)、聖地がシャマイクルチセ。
開拓時代には、丸山山頂に熊の頭蓋骨が供えられ、アイヌの熊祭りが行われていたらしい。 (郷土資料第2集 「開拓のあしあと」より)
参)日高地方ではオキクルミが最高の文化神とされる。
公園横には丸山運動公園陸上競技場があり、上記写真は新設されたスポーツセンター側からみた丸山です。
スポーツセンターの駐車場に車を止め、公園内を少しだけ歩いてみることにしました。
風情のある銀杏並木を通り抜け公園内へと。
来月7月24日には、1989年から始まった「那智・美瑛火祭」が行われる処です。
【美瑛町におけるアイヌ民族の往来】
安政四年(1857年)本道奥地調査のため入ってきた松田市太郎、松浦武四郎、両人の日誌によると、美瑛地域ではアイヌ民族が仮小屋を立てる程度で集落などは見られなかったという。
また上川アイヌの居住地を知ることのできる記録「野帳巳第三番」「丁巳日誌」においては入植当時(1898年)ローネナイ・忠別方面に川上イヤンテ一族が住んでいたという。
彼らは十勝アイヌを祖先にもつが、上川アイヌと馴染まずにその周辺に住んでいたという。 その他にはアイヌ民族の定住していた記録はない。
* 「美瑛町史」より
