監獄開拓


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除雪でびっしょり汗をかき、寒くなってきた。

いや! 一晩でよく降りました。
昨日まで数㎝しか雪が無かったのに。

日の出(6:54a.m.)前から除雪を始め、通行できる幅だけ確保すると。
すでに汗びっしょり!
今日は一日中氷点下(真冬日)の模様。早く着替えないと風邪を引く。

今、細切れの時間を利用して読んでいるのが先日古書店で入手した「樺戸監獄史話」。


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樺戸監獄史話(非売品)


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上野山画伯の筆による表紙:赤どじょう本

 
※ 上野山画伯の筆による表紙:
監獄庁舎当時の正門の鉄扉に囚人の怨念(おんねん)が秘められているとの語り伝えがある、赤どじょうがからむ表紙は、上野山清貢(うえのやま きよつぐ)画伯の筆で、「樺戸監獄史話」は、通称『赤どじょう本』として親しまれているとのことです。
(樺戸監獄史話より)

蝦夷地が北海道と改められ、急速に和人が道内に移り住むようになり、定住者はアイヌの人たちのみであった上川地方にも明治10年(1877)ころ鈴木亀蔵(すずき かめぞう)が初めての和人定住者となります。アイヌ交易のため、忠別太(現:旭川市亀吉)に居を置きました。

明治初頭はまだ上川に通じる道路も無く、交通は河川に頼っていた。

その手つかずの未開の地ではあらゆるインフラをゼロから造り上げなければならなかった。
そして北の大地の開拓には移住民による「移住民開拓」。そして、開墾のほかに北方防衛の役割をも担った、屯田兵による「屯田兵開拓」が進められた。

と、ともすればこのまま話が進んでしまい、誰もが重罪人として服役する囚徒をインフラ整備の労働力とした「監獄開拓」に関しては数行の説明で終わることの方が多かった。


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明治31年時代の樺戸監獄全景(樺戸監獄史話)

今日意識することなく日々通行している札幌から旭川へ向かう大動脈の上川道路(現国道12号)や旭川から網走へ向かう北見道路(現国道39号、333号 ・・・)。
そこには囚徒による開拓(多くの死亡者を出す)で造り上げられた基盤がありました。人跡未踏の奥地に通じる道路を開削するために利用された囚人(樺戸・空知・釧路集治監の囚人労働が投入される)。

なかでも特に過酷を極めた北見道路開削。
現在北見峠には『中央道路開削殉難者慰霊碑]』が建立されているが、殉難囚人慰霊碑の囚人という二文字はない。

当初農地開墾が主だった囚人たち。
では囚人使役が過酷になっていく経緯とは:

1879(明治12)年、内務卿伊藤博文が太政大臣三条実美にあげた建議書。

 
社会を乱した凶悪犯や政治犯たちは、ただ徒食させることは許されない。ロシアへの備えの意味からも開拓が急務である北海道に送り込んで、開墾や道路建設などにつかせるのが良い。

とするもの。

また1885(明治18)年、伊藤博文の側近であった太政官大書記官金子堅太郎(現日本大学初代校長)は、伊藤の命により同年7月に東京を出発し北海道三県を巡視。
10月の帰京後にその詳細を復命した有名な「北海道三縣巡視復命書」では、

 
『彼等ハ因ヨリ暴戻(ぼうれい)ノ悪徒ナレバ、其苦役ニ堪エズ斃死(へいし)スルモ、尋常ノ工夫ガ妻子ヲ遺シテ骨ヲ山野ニ埋ムルノ惨状ト異ナリ、又今日ノ如ク重罪犯人多クシテ徒ラニ国庫支出ノ監獄費ヲ増加スルノ際ナレバ、囚徒ヲシテ是等必要ノ工事ニ服従セシメ、若シ之ニ堪エス斃レ死シテ其ノ人員ヲ減少スルハ、監獄費支出ノ困難ヲ告クル今日ニ於テ、万已ムヲ得サル政略ナリ。』

—————————————————————————–

『彼等(囚人)はもとより暴戻(ぼうれい)の悪徒なれば、その苦役(くえき)に堪えず斃死(へいし)するも、尋常の工夫(こうふ)が妻子をのこして骨を山野に埋むるの惨情と異なり、又今日のごとく重罪人多くして、徒(いたずら)に国庫支出の監獄費を増加するのは際なれば、囚徒をしてこれ等必要の工事に服従せしめ、もしこれに堪えず斃(たお)れ死して、その人員を減少するは、監獄費支出の困難を告ぐる今日において、万止む得ざる政略なり。』
 
※ 北海道三県巡視復命署書

この金子の囚徒使役に関する一節では、「囚徒らは道徳にそむいている悪党であるから、懲罰として苦役させれば工事が安く上がり、たとえ死んでも監獄費の節約になり、一挙両得である。」という主張で「働かせて死んでくれた方が金もかからずお国のためとなる。」と。

現在われわれの住むまちは、彼らが原野を切り拓き・道路を造り、橋を架け、そしてその上にうまれたまちなのです。
語られることの少ない真実。
道民であれば誰もが理解しておくべきことではないでしょうか。

樺戸集治監に関しては月形町のサイト『月形歴史物語』をぜひご覧ください。

曇り14:05 気温/-5.3℃ (.all images:biei.info)

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