旧陸軍第七師団美瑛演習場

昨夜皆さんとの会話のなかで、美瑛のトーチカの話がでました。

小高い丘の上にある鉄筋コンクリート造りの建築物「監的所」のことです。
地元では「監的壕」と呼んでおり久しぶりに見に行くことにしました。(注:個人の所有地)


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道路反対方向から見た茂み(個人の所有地)

ただこの時期は草木の茂みに覆われ、監的壕の姿は全く見えません。
道路沿いにポツンとある茂みが目標で分かりやすい半面、初めての方には地図で教えてあげてもなかなか見つけ出し難い処でもあります。

予想通り現地に着くと(自宅から車で5~6分のところ)草がボウホウに。背の高さほどに伸びた雑草をかき分けかき分け、虫に刺されながら監的壕に近づきました。


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茂みのなかの監的壕(トーチカ)

トーチカ(ロシア語:точкаトーチュカ)とは、鉄筋コンクリート製の防御陣地を指す軍事用語で、元々はロシア語で「点」を意味し、日本語では「特火点」と訳されています。

形は四角もしくは半円状で、機関銃や大砲を射撃できるよう小さな銃眼を空けてあります。
この監的壕(トーチカ)は美瑛演習所の着弾監視のために設けられたもののようです。
軍隊用語では監的所(かんてきしょ)、観測掩壕(えんごう)などと呼ばれ、大砲射撃の着弾地点を観測して射撃の判定を行うものです。

監的壕の内部には、細窓の下に着弾観測時の肘おきが作られています。
建築物は分厚いコンクリート壁でできていまが、外部は一部崩れ鉄骨がむき出しになっているところもあります。

戦闘目的のトーチカは、小さな銃眼のみの造りのため非常に死角が多く、この欠点をカバーするために通常は複数のトーチカを並べて、向かってくる敵に対して十字砲火を浴びせられるように設置されるのが常でが、美瑛演習場では他に建築物らしきもの(またはその痕跡など)は見あたりません。(下記参照)

 
【監的壕(かんてきごう)】
◎所在地:字瑛進(個人の所有地)
◎説明:元陸軍第七師団の演習地の中枢を成す施設で、演習の成果の確認と仮想敵国ソ連の見張り所(監的壕)や演習全体の見張り所(橋立山、昔は師団山といった)のあったところで、現在も近くの畑からは演習の後の大砲の砲弾などが出てくる。また、この近くに演習の時に建ててあった三角兵舎や武器庫があった。
 (美瑛探求会資料より)
***********************************************
※ かん‐てき【監的・看的】
的の傍にいて、射的の命中したかどうかを看守すること。また、その人。
 
※ えん‐ごう【掩壕】‥ガウ
待機中の守兵を敵弾から掩護するために掘り開いた壕。
 
※ トーチカ【tochkaロシア】
(点の意) コンクリートで堅固に構築して、内に重火器などを備えた防御陣地。火点。
 (広辞苑)

参) 道内大樹町旭浜の海岸に残るトーチカ群 十勝毎日新聞社「勝毎ジャーナル」


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監的壕(トーチカ)内部 (ストロボ使用)

平成11年に開基百年を迎えた美瑛町ですが、戦前より、美瑛川から南西方向の丘陵地帯は陸軍の演習場でした。


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美瑛の丘での演習


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* pdf  (以上、美瑛町(百年)史より)

旧陸軍演習場のあたり

1907(明治40)年2月14日に「陸軍演習場規則」が公布され、同年美瑛に演習場が設置される。演習場の範囲は、現在のJR美瑛駅~美馬牛駅を結ぶラインから南東側の丘陵地帯(三愛・水沢・福富・新星・美馬牛)一帯で、駐屯地(演習場廠舎/しょうしゃ)は美瑛小学校一帯でした。
* 明治40年から終戦まで、旧陸軍第七師団美瑛演習場として使用。

当時の旧陸軍演習場廠舎門柱(美瑛町指定文化財 第2号)が残されています。


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美瑛小学校敷地内の旧陸軍廠舎門柱

この美瑛演習場については、町としての詳しい調査研究もなされてこなかったようで「美瑛町史」にもほとんど詳しい記載は無く、またその他の資料なども無いもようです。

ただ特筆すべきは、この演習場は通常演習(主として歩、砲兵の戦闘射撃)だけで無く、毒ガス弾の野外実験にも使用されていた点です。

そして終戦後、この演習場跡地は開拓農地として、旧軍人や満州等からの引揚者、樺太などから来た人たちが入植。

 
【旧陸軍演習地時代の地名:美瑛町】
千代田、橋立山、間宮、妙見、常磐、憩森、師団山、朝日山、大正山、砲台の沢など。
 
美瑛の新星地区は「師団山」といっていた旧陸軍演習場。
1945年(昭和20年)以降、戦後開拓者として入植したのは旧軍人あるいは外地からの復員引揚者であった。そのため兵隊のシンボル星(階級章)を新しい開拓の「星」にと「新星」と命名。 (美瑛町百年史より)

丘の稜線には水路が走っていて、食糧増産のため丘陵地帯に水田を造りました。
昭和35年の人口ピーク時には、農家戸数も2,200戸を数えましたが、平成17年には674戸にまで減っています。人口も11,626人(総世帯数:4300世帯/平成17年上川支庁)と、ピーク時に比べて約1万人以上減少しています。

昭和40年代に入ると水田の生産調整が始まり、丘陵地帯の畦(あぜ)をとりはらって、畑作に切り替えたことで、現在の「丘のまち」と呼ばれる素晴らしい農村景観が生まれた。

町内の農家の方々の話によると、子どもの頃は不発弾を探して遊んでいたそうです。
また近年では2003年6月に砲弾が発見されています。

 
毒ガス弾について
※ 美瑛演習場に於ける日本陸軍毒ガス野外実験:
1926(大正15)年8月、ホスゲン効力試験
1926(大正15)年10月、ホスゲン弾集中射撃効力試験
1928(昭和3)年1月、ホスゲン・イペリット寒地試験
1929(昭和4)年1月、ホスゲン・イペリット寒地試験
1934(昭和9)年2月、青酸寒地試験
 
【現在の状況は】
環境省によると、美瑛演習場での毒ガス弾試験を含む「旧軍毒ガス等の野外実験」については、「保有および廃棄・遺棄に関する情報と比較して、使用された毒ガス弾等は少量であり、毒ガス弾等はほぼ全量使用された可能性が高い。
そのため、現時点では潜在的な健康影響の可能性が低いと考えられる。」と、
昭和48年の「旧軍毒ガス弾等の全国調査」フォローアップ調査報告書』(環境省)
にて報告しています。

【万が一砲弾を発見したら!】

◆ 触れない!近寄らない!
砲弾と思われる物を発見された時は、すぐに警察・役場へ通報してください。
爆発のおそれはほとんどないとのことですが、不発弾が埋もれている可能性もあり、見つけたら必ず通報してください。

→ 監的壕(トーチカ) QTVRパノラマ映像
→ 監的壕(トーチカ) 内部 QTVRパノラマ映像

   美瑛町の戦争史跡 フルスクリーンパノラマ
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